「ドキュメンタリーが開く世界」を終えて
- Kazuki AGATSUMA

- 10月5日
- 読了時間: 6分
更新日:3 日前

8月9日(土)、10日(日)の2日間、せんだいメディアテークで「ドキュメンタリーが開く世界~みやぎシネマクラドルの10年とこれから~」という上映会が開催された。
主催したのは、以前、このブログの「映像を通して繋がり、学び、支え合うコミュニティを求めて」という記事で紹介したみやぎシネマクラドル。2015年4月に、僕が発起人となって、主に宮城を拠点に活動している映像の作り手とその活動を応援してくれる市民が一緒になって立ち上げた会である。
僕は代表という立場上、会の10周年に当たるこのイベントの開催に向けて多くの時間を準備に費やしてきたのだが、今までそういうことをたくさんしてきたこともあり、それはそれでやりがいのある楽しい時間だった。また、イベントに合わせて会の10周年記念誌も作成し、改めて地元の仲間たちと繋いで来た活動の意義を再確認することになった。そうして当日はたくさんの方が来場して本当に良い時間となった。
改めて振り返ると、僕が今回一番強く思ったのは、「コミュニティっていいなあ」ということだろうか。
当然ながら、10年も経てば、同じ会に所属する仲間内でも関係性は変わるし、興味関心も活躍の度合いも変わって来る。みんな考え方や価値観も微妙に違うし、正直、同じ会の仲間だからといって何でも話せるかというとそういうわけでもない。互いにリスペクトはしているし、本音の議論を交わすことはあるけど、基本的に個々の方向性はバラバラである(元々何か特定の思想・信条で集まっている会ではないので)。そういう中で、ちゃんとみんなでまとまって参加者にとって有意義な時間を作れるのか、心配もあった。
それでも、「地元」「ドキュメンタリー」「対話」という共通の柱を軸に、みんなで協力して良い時間にしたいという気持ちが生まれて、みんなで作り上げた時間だったと思う。そして観客もその空気を一緒に作ってくれた。その幸福感と充実感は、思考のみが身体を離れて先鋭化して分断を招きがちなSNSのコミュニケーションとはまた違う、リアルならではのものだった。100%の理解や共感でなくても人は手を取り合うことができる。そのような、個々の違いを前提にした調和や協同や創造のあり方を学ぶのがコミュニティの一つの役割なのかもしれない。改めてそんなことを思ったりもした。
それがただの錯覚か、ある程度確信めいたことなのかは、これからの活動にもよる。ただ、10年続けてきて良かったと心から思うことができたし、メンバーがみんな「参加して良かった」と口々に言ってくれたのが嬉しかった。僕も自分の活動がある中でいろいろ調整したりして忙しかったけれど、無事開催できて、みんなの笑顔を見ることができて本当に良かった。
今回の上映会を機に、新たに会員になってくれたメンバーも何人かいる。今後も地元のさまざまな立場の人と一緒に活動を続けて、映像を通して地域の未来に何か意味のあるものを繋ぎ、次は20周年上映会を開けるようにがんばりたい。
改めて、今回の上映会に当たってご協力いただいたみなさま、これまで会を支えてくださったみなさまに感謝申し上げます。
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※以下の文章は、オープニング上映時の代表挨拶のために用意していた原稿です。頭の回転が遅い僕はこうして原稿を準備しておかないと不安になるのですが、そのおかげで当日は暗記していた原稿を95%正確に話すことができました。せっかくなのでここにその内容を残しておきたいと思います。
みなさまこんにちは。本日は暑い中上映会に足を運んでくださりありがとうございます。みやぎシネマクラドルの代表を務めております、我妻と申します。どうぞよろしくお願いいたします。
最初に、僕のほうから会の立ち上げの経緯について簡単にお話しさせていただきます。詳しくは上映会のチラシ裏面や本日配布させていただいた10周年記念誌を読んでいただけると分かりやすいと思うんですが、当会は宮城県を主な拠点に、映像を通して作り手と市民が繋がり支え合うためのコミュニティとして、2015年4月に立ち上がった会になります。
何故このような会を立ち上げることになったかといいますと、実は僕自身の当時の孤独な制作環境が関係しています。実は僕自身、映像の下積みも人脈もほとんどない中で大学卒業と同時にドキュメンタリー映画の制作をはじめたんですけども、いくら機材が進歩して理論上は一人でもドキュメンタリーが作れるとは言っても、映画を作って公開するということは、当然ながら自分一人の力でできることではありません。そこには多くの人の支えが必要になるのだということを、僕は最初の長編作品を通して学ぶことになりました。
それだったら、かつての自分のような孤独な作り手のためにも、普段からさまざまな立場の人が一緒になって横のつながりを作っていくことはできないだろうか。そしてそれをやるのであれば、作り手だけがそこから恩恵を受けるのではなくて、関わる人みんなで映像を軸に一緒に学んで成長していけるようなコミュニティを宮城に作ることはできないだろうか。そんな思いから、自分の映画の上映の過程で出会った作り手ですとか、地元の作り手の活動に関心を持って応援してくださるさまざまな立場の方に声をかけて、2015年4月にみやぎシネマクラドルを立ち上げることになりました。
そんな私たちは、立ち上げ当時からせんだいメディアテークさんと協同で、普段はスタジオbのほうで映像サロンというイベントを不定期で開催しています。これは、会員の作品を鑑賞して、参加者が思考や対話を深めるための会として、これまで20回以上開催しているんですけど、映像を通して、さまざまな人の生き方ですとか、社会問題ですとか、あるいは表現のあり方について、ともに学ぶための開かれた場を作るというのが私たちみやぎシネマクラドルの大きな活動になっています。
そして、活動を続ける中で、震災10年のときには、「地元宮城の方々と一緒に震災10年という時間について考えたい」という趣旨の元に、会員の有志4名でオムニバス映画を制作することになりました。それが今回オープニングで上映させていただく『10年後のまなざし』になります。これは、2021年2月に震災10年特別上映企画という形で、このシアターで上映したのですが、岩手が舞台の村上浩康監督『冬歩き』、福島が舞台の山田徹監督『あいまいな喪失』、宮城が舞台の我妻和樹監督『微力は無力ではない~ある災害ボランティアの記録』、同じく宮城が舞台の海子揮一監督『海と石灰~仮設カフェをつくる~』の4作品からなる作品になります。上映後には4人の監督の舞台挨拶もありますので、是非最後までご参加ください。
最後になりますが、この10年の間に社会も映像メディアも大きく変化してきています。ネット上には差別や暴力を煽るような言論が溢れ、さまざまな情報やコンテンツが消費されていく一方で、大切なことを見失いがちな時代になっているとも言えます。
その中で、今ドキュメンタリーを作る意味とは何なのか、地方にこのような映像コミュニティを作る意味とは何なのか、映像を通してより良く生きるための方法をご参加のみなさんと一緒に考える機会になれば幸いです。2日間、どうぞよろしくお願いいたします。
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なお、みやぎシネマクラドルの10周年記念誌『ドキュメンタリー・ダイアローグス~作り手と市民が繋ぐ未来への対話~』は以下のページで公開されています。興味がある方は是非ご一読ください。

※画像は10周年上映会にゲスト出演した佐藤裕美さん(プログラムB『杳かなる』出演者にして僕の映画のプロデューサーを務めてくださった方)が描いてくれたスタジオbのイラストです。






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