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執筆者の写真Kazuki AGATSUMA

AVの是非をめぐって~性暴力コンテンツに溢れる社会を変えるために~

※この文章は、前回の記事「性暴力・性搾取・性犯罪をなくすために男性がすべきこと」(2024年6月27日公開)の続編として書かれたものです。

※X(旧Twitter)で70連続ポストする想定で書いたため、一段落ごとに通し番号が付いています。



【目次】

1.はじめに
2.AVを根本から捉え直す3つの視点
3.AVの倫理的妥当性と“公益性”を考える
4.アンチ・フェミニスト、表現の自由戦士への反論(前編)
5.アンチ・フェミニスト、表現の自由戦士への反論(後編)
6.女性蔑視・性加害・性犯罪肯定表現が醸成する社会の空気
7.健全なAVはあり得るのか
8.性暴力コンテンツに溢れる社会を変えるために




1.はじめに


【AVの是非をめぐって】


①2024年6月27日に、AVや性産業や社会に根付く女性蔑視について以下のような108ポスト分の文章を書いた。


これに対して、Xでのポストに多くの男性から否定的・攻撃的な反応を受けたが、それらも踏まえ、AVに関する自身の考えをさらに整理してみた。



2.AVを根本から捉え直す3つの視点


②まず、AVをめぐる議論については、性加害・性犯罪肯定表現の問題や出演強要の問題など、明らかに暴力的・詐欺的な側面に焦点が当てられてその是非を問う場合が多い印象を受けるが、僕はもっと根本的な問題として、以下の3つの視点から考えることが重要と思っている。すなわち―


ⒶAVの内容や出演者の同意云々に拘わらず、人の性的姿態や性行為を都合よく消費する(同意を買い性的モノ化する)目的に特化した表現自体が、出演者の性的人格権(セクシュアル・ライツ=普遍的人権の一つであり、意訳すると性をめぐる個人の尊厳と健康が将来にわたって守られる権利)と対立する。


Ⓑほとんどの場合、性的モノ化される対象は女性であり、ジェンダー不平等や女性蔑視を背景とした享楽的性表現が女性の抑圧・虐待そのものであり(AVが主に男性が女性の性を都合よく消費する目的に特化している分、女性を凌辱し、貶める傾向は顕著となる)、それが女性差別を発信・強化する。


Ⓒ上記を基礎とした巨大ビジネスの構造上、女性の大半が背景や出演の経緯に何かしらの問題を抱えており(借金や貧困で仕方なく/虐待・性被害のトラウマや精神疾患、知的・発達障害の特性が利用される/知識・情報の不足や孤独・承認欲求といった心の隙間に付け込まれる等)、自由意思とは言い難い。


⑥以上の視点から、AVは大前提として人権侵害・女性差別の側面が大きく、本来ならば不同意に当たる性行為(対等でない制約された状況下における消極的性行為=性暴力)をお金で正当化する行為と言える。これはAVに限らず性産業全般に言えることで、その制約下では当事者の性的自己決定権も侵害される。


⑦つまり、性的人格権の拠り所である「性=人格説」を前提とすれば、そこで売買されるのは人権や尊厳であり、労働・技術・才能等による成果を売買する一般的な仕事とは明らかに性質が異なることが分かる。(仕事をする中で尊厳が削られる場面があることと、尊厳そのものを売ることは同義ではない。)


⑧従って、仮にその権利を売る側の同意があったとして、買う側の正当性は認められず、この前提が共有できているかどうかでAVをめぐる議論はかなり変わってくる。よく「それならば国は規制するはずだろう」という意見があるが、そうならないのは社会や経済が男尊女卑・女性蔑視で回っているからだろう。



3.AVの倫理的妥当性と“公益性”を考える


⑨もちろん、人によって性の重要度は異なるし、人の営みにおいて権利同士の相克は免れないのだから、性をめぐる個人の尊厳と健康が損なわれるリスクが多少あったとして、それは表現の自由と個人の意思との調整の範疇であり、全てを人権侵害と捉えるのは違うのではないかという意見もあるかもしれない。


⑩実際、出演者の中にはタレントのような活動をしている人もいるし、AVの中には“そこまで”暴力的でないものも一応あるにはあるのだから「AVというジャンルや業界そのものが問題なのではなく、その中で起こる個別の問題にどう対処するかが重要なのだ」という考え方は、一見合理的であるように思われる。


⑪しかしそのような理解の元に、どれだけの不幸が起きてきたかは既に支援団体やメディアのおかげで分かってきている。そもそも予め想定されているにも拘わらず、男性の性欲や加害欲や支配欲を満たすという至極勝手な目的のために、上記のリスクを女性に強いる表現が果たして倫理的に妥当なのだろうか。


⑫加えて重要なのが、ほとんどのAVでは一般的なフィクションの現場では絶対に有り得ない挿入行為が何故か堂々と行われており(お金を払っての挿入行為は刑法の売春防止法で禁止されている)、プレイ内容、カメラワーク、宣伝文句等全てにおいて女性を侮辱・凌辱することに終始徹底していることである。


⑬それが意味するのは、表向きにはフィクションを装いながら、その本質は「女性は性的に弄ぶことが許される隷属的存在である」という誤ったメッセージを積極的に発信する差別・虐待であることに他ならない。そしてその暴力性は、AVごとに強弱の濃淡があったとしても、本質的には全て同じと言える。


⑭(この論の根拠として、世の中には生身の人に対する差別や暴力を享楽的に消費するコンテンツなど存在しない—例え本人の許可があったとしても悪影響から社会がそれを許さない—ことが挙げられる。それがAVだと成立するのは、男性はもちろん、女性すらも女性蔑視を強く内面化しているからだろう。)


⑮以上のことから、全てのAVが等しく問題なのは明白であり、それが出演者の尊厳と性的健康を損なうリスクが高いことは疑いも無く、これが何の規制も無く社会に受け入れられていることの背景に「女性は男性の所有物である」とする家父長制的価値観が未だ根強く存在していることは想像に難くない。


⑯そしてこの価値観が「男尊女卑のプロパガンダ」としてのAVの制作・消費活動を後押ししつつ、それ自体も強固に支えられているのではないだろうか。(一般的に「女性嫌悪」という素朴理解がなされているミソジニーも、その実は家父長制を維持するための集団的監視・制裁のシステムとされている。)


⑰さらに、AVの倫理的妥当性を考える上でもう一つ重要なのが、AVを含む性産業ではその巨大ビジネスとしての構造上、一見コンプライアンスを遵守した体裁を取りながら、事業者の悪意ある誘導(アダルトコンテンツに対する男女間の情報格差を利用した騙し)が入り込む余地が多分にあるということである。


⑱これはⒸの問題の具体例にもなるが、業界によっては一見性的なものとは無縁に思えるコンテンツを入り口に、心理的ハードルの低いものから女性を性的なものに慣らしていき、最終的にAVに導く構図が出来上がっている場合も多い。(その代表的なものにモデルやグラビアの撮影等が挙げられる。)


⑲こうした手口は過去に事件化された出演強要等によって明るみになったが、今も性産業全般で非常に分かりづらい形で実際に行われていることでもある。ほかにもトラウマを抱えた女性の性化行動を利用するなど、その人に本来ある治療等の選択肢を狭め、性産業に依存させる場合が多いことも知られている。


⑳そこでは女性が主体的にその選択をしたように見えて、実際にはそのためのルートが巧妙に仕掛けられていたり、思考を操作されていたりする場合もあるのである。そこで行われているのは、実質的に性暴力の類型でいうところのエントラップメント型やグルーミングと同じと言っても過言ではないだろう。


㉑しかしこのような実態は世間的にはあまり知られてはいない。何故なら出演者にしてみれば、AVを自分が生きるための“仕事”として「自分が望んで選択したこと」と肯定しなければ辛くなってしまうという事情もあるため、多くは口をつぐみ、「性産業はクリーン」という幻想の元に埋もれていくのだと思う。


㉒そこでは業界全体が「癒し」や「自己実現」といった性産業の “公益性”を失わないように、人権の尊重を演出し、「キラキラ感」でコーティングし、出演者を含む社会規模の洗脳を行っているのではないだろうか。そして社会もその圧倒的な金回りの良さから積極的にそれに応じているのではないだろうか。


㉓しかし性暴力被害者にとって望まぬ性行為が心身に長期的な悪影響をもたらすように、同意の有無に拘わらず、自身が性的モノ化され都合よく消費される経験は、(十分な知識によって将来を見通す機会が無く、周囲に堂々とできない場合はとくに)出演者の将来に多大な影響をもたらすことが予想される。


㉔そのためそのリスクから出演者を守るためにも、性的人格権や女性差別の視点からのAVの捉え直しが必要不可欠なのである。そこでは同時に、国がこのような人権侵害ビジネスを放置せず(当てにせず)、いかに福祉制度や社会保障を整え、賃金格差や経済格差を是正していくかも重要になってくるだろう。



4.アンチ・フェミニスト、表現の自由戦士への反論(前編)


㉕以上のことを踏まえた上で、AVを批判する際に必ずバッシングしてくる大勢のアンチ・フェミニストや「表現の自由戦士」(女性の権利を脅かしてでもアダルトコンテンツを享受したい人たち)への反論を導き出したい。(ちなみに彼らの99%はミソジニーを強く内面化した匿名の男性アカウントである。)


㉖まず、AVを批判する人を逆に「女性差別・職業差別だ!」と捲し立てる逆差別論者に対しては上述の視点から反論できるし「自分でやりたくてやったくせに社会のせいにするな!」と捲し立てる自由意思論者・自己責任論者に対してはⒸのような事情や女性を性搾取の世界に導く社会構造の面から反論できる。


㉗ただしここで注意が必要なのは、彼らは別に女性の人権や性搾取の実態について本気で考えようとしているわけではないということだ。彼らは男性という特権的な属性に胡坐をかき、自分を変えるつもりがないため、上記のようなことを説明したところで基本的には不毛である。(その背景には何かしらの


㉘事情もあるのかもしれないが、かといって放っておけばそれは彼らにとっての成功体験となってしまい、その攻撃性はとくに女性に向きやすいので、男性からも何かしらの反論が必要になる。仮に背景に事情があったとして、決して加害をしてよい理由にはならないのである。)


そのため、そういう場合には


㉙「ではあなたも自分より力のある男性から凌辱されて家族・知人にも分かる形で全世界に発信されることに抵抗は無いということで良いですか?自分のタイプの女性に凌辱されるなんて都合が良過ぎますよ?」そして「そもそも男性が求めなければいい話ですよ?」と問い返したほうが伝わるのかもしれない。


㉚この際、前者のようなミラーリングは一部の性産業当事者を傷付ける可能性もあるので注意が必要だが、当事者の中には貧困状態にある人等、自分が置かれている状況を俯瞰し「性産業はクリーン」という欺瞞や男性の特権性・加害性に辟易としている人も多いので、あながち傷付けるばかりではないと思う。


㉛とくに社会構造に関して、現代ではSNSやインフルエンサーの影響もあって女性蔑視を背景とした過剰なルッキズムや性のカジュアル化が浸透し、女性は早くから自身の性的市場価値に気付いてアダルトの世界に参入することが求められ、それが今や「当たり前のこと」と促す罠が至るところに蔓延っている。


㉜そしてこれに加担していることに無自覚な男性ほど、業界の中でごく少数の「(あくまで現時点で)プライドとやりがいをもって出演している人」の存在ばかりをやたら強調したがるが、その一方で搾取の構造に取り込まれ、人知れず苦しみ、自ら命を絶つ人さえいるという事実は決して無視してはならない。


㉝個人的には「自分の意思が尊重されている」と感じているごく少数の出演者でさえ、時間の経過や知識の獲得によってその考えが変わると思っている。しかしそれは自分が信じてきた物語が根本から崩れることだから、致命的なダメージを負いかねない。その意味ですべての出演者は被害者であると僕は思う。


㉞しかしそうして性産業を人権侵害の面から捉え直すことと、性産業当事者を弱い立場に貶めて差別・否定することはイコールではない。むしろ人権侵害という視点を持ってはじめて、当事者が人知れず抱えている問題や社会にある潜在的な被害を認識し、守られない人を守ることに繋がると僕は思っている。



5.アンチ・フェミニスト、表現の自由戦士への反論(後編)


㉟次に「現実とフィクションの区別もつかないのか!演技に決まってるだろ!」と捲し立ててくるフィクション論者・反規制論者に対しては、ⒶⒷの視点で言うとAVはエンターテイメントやアート作品ではなくむしろ差別や暴力にカテゴライズされることになるので、問題提起の次元が異なることを指摘したい。


㊱よく「暴力・殺人の描写との違いは?」という比較があるが、それはエンタメというカテゴリの中だからこそフィクションとして成立しているのであって、基本的には差別や暴力、ましてや殺人をただただ享楽的に消費する目的で作品が作られることはない。そこにはコミュニティ内の倫理や相互監視も働く。


㊲もちろん、エンタメやアートでも制作者が差別や暴力を悪意を持って忍ばせることはあるし、制作の過程でハラスメントや性暴力が発生することもある。それはそれで厳しく批判・断罪されるべきだし、その意味ではカテゴリを逸脱することもある。だから映画業界の性表現についても、それが芸術だから


㊳無条件に許されるなどとは全く思わない。(ここでは例えとしてカテゴリによる区別を用いているが、実際には「表現」と「暴力」は一つの連続体の両極として繋がっており、エンタメもアートもAVもそのグレーゾーンのどこかに位置づけられる可変的なものという見方ができるだろう。)


㊴とくに映画業界では、性行為を演じる俳優に多大な負担をかけてきた歴史が実際にあり、近年では俳優の意思を尊重しつつ、監督の意図を最大限実現できるよう調整するインティマシー・コーディネーターという役職が重要視されているが、この役職が成り立つのも作品の目的が性の消費ではないからである。


㊵つまり、エンタメやアートがそのカテゴリを逸脱しないためには「何のためにどう描くか」という目的と手法が作品の制作過程を含めた公序良俗性を担保できるかどうか(作品の内容が公序良俗的であれということではない)、そのための倫理観が制作者にあるかどうかが非常に重要になってくると言えよう。


㊶(ちなみにこれは僕が生業としているドキュメンタリーでも例外ではなく、「伝えること・知ることの大切さ」といった公益性のために撮影対象となる方の意思や権利や尊厳が蔑ろにされようものなら、そこにどんな「大義」があろうとそれは暴力になってしまうということは僕自身ずっと言い続けている。)


㊷しかしAVの場合はそもそもの目的が性を都合よく、享楽的に消費することなので、そこに映る女性の抑圧は否応なく本物の差別・暴力となる。表現(のメッセージ性)が受け取る人を傷付ける可能性があるということと、表現そのもの(制作過程での対人関係を含む)が差別・暴力ということは異なるのだ。


㊸そのため、本来であれば業界内の倫理や相互監視によってこの暴力性を抑制していくことが求められるのだが、現状を見るとそうなってはいないため、そこに脅威を感じる多くの女性からすれば法規制に頼らざるを得ないのだと思う。そしてフィクション論者や反規制論者はここが理解できないのだろう。


㊹最後に「格闘技にもリスクはあるだろ!」に関しては、格闘技こそリングに上がる成人の99%が信念を持ってやりたくて上がって、対戦相手とも身体的にフェアになるような配慮がなされるのであって、誰に対しても堂々としていられる積極的な出演者が多分1%もいないAVとは全くシチュエーションが異なる。


㊺しかも性行為においては男性よりも女性のほうがリスクが大きく(身体的な力の格差があり、男性のプレイを受ける側であり、妊娠の危険がある等)、さらにお金が発生することで男性側に権力も生じる。そこでは打ち合わせ段階では無い過剰なプレイへの誘導もあり、決してフェアとは言えないだろう。



6.女性蔑視・性加害・性犯罪肯定表現が醸成する社会の空気


㊻にも拘わらず、これだけ生身の人を利用した女性蔑視・性加害・性犯罪肯定表現が社会に許容されているのは、ひとえに社会の男尊女卑の構造ゆえと思う。それが男性の性行為や性加害への認知を歪め、性暴力の深刻さを軽視する社会の空気を醸成するのは、SNSの男性たちの発言を見れば明らかである。


㊼よく「AVは悪影響であることの根拠を示せ!」とデータを欲しがるデータ論者がいるが、暴力性の高いAVが脳に影響を与えるという研究や「AVを見て自分もやりたくなった」という加害者の証言は実際にあるし、恋人間・夫婦間のDVに関しても、たくさんの女性が男性にAVの影響が見られることを訴えている。


㊽さらに、この「認知を歪める」という部分に関しては、実在の人物を扱った実写表現以外のものも見過ごせない。とくに漫画や生成AI等のアダルトコンテンツに関しては、児童を対象とした性虐待表現がとんでもないことになっているが、これはAVの問題とはまた別のアプローチからの対策が必要と思われる。


㊾以上、いろいろ書いてみたが、そもそもこうした問題に多くの男性が何の対処もしないのも、女性蔑視に慣らされていることが一因と考える。しかし痴漢や盗撮に対しても未だに女性の自衛ばかりが求められる社会において、男性が意識的に変わらなければ、次世代の子どもたちの認知もどんどん歪んでいく。


㊿実際に、近年では子どものスマホ所有率も増え、子どもが加害者となるデジタル性暴力も急増しているし、身近な人物の顔写真を利用した生成AIによるディープフェイク・ポルノの技術まで子どもが身に付けているという。これは男性が自らの加害欲に対して自分たちで何の対処もしてこなかった結果だろう。


51とくに、SNSでは「AVを規制したら性犯罪が増えるだろ!」「そうなったらお前らの責任だ!」と叫んでAVを批判する人の声を塞ぎ、女性を脅す男性までいるが、僕自身は、彼らこそがAVや過剰な性表現による悪影響を如実に体現している存在であり、依存症の治療が必要な要支援の人たちだと思っている。


52そして、社会が女性の性搾取を肯定する男尊女卑構造や女性蔑視的文化から抜け出さない限り、AVをはじめとした性加害・性犯罪肯定表現によってガス抜きされている潜在的性加害者が、実際に加害を起こす確率も高くなることが予想される。その意味では、彼らが言うことは当たっているとも言える。


53しかし、だからといって根本の問題から目を背け、搾取を正当化してよい理由にはならない。そのため、AVの是非について議論する上では、誰かの性的満足の際限ないエスカレーション優先ではなく、それによって人生や生活を脅かされる人たちのことを最優先して慎重に議論する必要があると考えている。



7.健全なAVはあり得るのか


54その上で、AVが絶対に作ってはならないものかというと、僕自身「表現の自由」との調整からそうは言い切れないところがある。ここは賛否が分かれるかもしれないが、そこでは差別・虐待の享楽的消費行為の禁止に加え、出演者の尊厳と将来にわたる性的健康を守るための最大限の配慮が必要になると思う。


55例えば、AVの中にはごく一部、女性主導の制作体制で、ストーリー重視かつ男女を対等に、女性が望む性行為を幸福感をもって描くこと(そして挿入を見せない)に特化したものもあるが、個人的にはこのくらいでないと、AVが「差別・暴力」から「アダルト」カテゴリに移ることはないのではと考えている。


56しかしAV業界の構造や消費者(僕を含め)の性格上、それが全体に期待できるとは思えないため、現状では極限まで縮小していくしかない。もしそれがあり得るとしたら、社会が本当の意味での男女平等を実現し、教育格差・経済格差が是正され、福祉制度や人権教育・性教育が十分に整った上での話だろう。


57そのため、現状では法律による具体的な線引きが必要になると思うのだが、少なくとも、そこで制作における差別や虐待や騙しを最大限抑制できるよう、「AVの性加害肯定表現を許さない会」の提言が最低要件になるのではと思う。


具体的には以下の請願内容を参照いただきたい。


58この請願内容では、具体的に「性犯罪表現/暴力表現/不同意、身体の拘束/危険行為、感染などの健康被害/妊孕性/権力勾配、懲罰/児童/近親者」に関する表現の規制を求めているが、個人的には、もはやこれらの制限の上にしか、AVが本来の意味でのAVとして存続する道は無いのではと思っている。


59しかしこれを満たしたところで、性を消費する目的に特化した表現と性的人格権の保護は両立するのかという疑問は残るし、その目的である限りすべてが差別であり虐待であるともいえる。(僕が今回暴力性の高いAVと低いAVを区別して前者の問題に限定せず、AV全体の問題としているのもこのことによる。)


60さらに制限によって心理的抵抗が減る分、間口が広がり被害が増える可能性もある。ここは引き続き議論が必要である。


実際、性産業の中には男性との身体接触が無いことを大きな売り文句に、相手の知識・情報の乏しさに付け込んでたくさんの女性を取り込み、不同意わいせつに晒している業界もある。


61コンカフェ・キャバクラ等もある意味ではこれに該当するが、現代ではオンラインに特化したコンテンツでも女性が性的に搾取されるケースが多数起きているため、それらも想定した法整備が必要になる。決して挿入や身体接触が無いから精神的苦痛やトラウマのリスクが無いというわけではないのである。


62いずれにしても「アダルト」というカテゴリはエンタメと区別し、きちんとゾーニングしなければならないと強く感じている。現代ではその境界が次々と破られ、子どもでも容易にアクセスできる状況になっているが、市民の相互監視と法規制によってこれを修正していくことが求められているのではないか。



8.性暴力コンテンツに溢れる社会を変えるために


63そして、ここまでは主に「適性AV」と呼ばれるAV(内容的には全然適性とは思えないものが多い)を想定して書いてきたが、最後に、近年スマホの普及とともに爆発的に増えてきた「個人AV」「同人AV」と呼ばれる界隈はさらに危険な様相を呈しており、早急の対策が必要であることを付け加えておきたい。


64これらは、個人で動画を販売できるプラットフォームの存在がその量産を後押ししており、表向きには「クリエイターとの交流や支援」を名目に、素人による、もはや表現でも何でもない本物の性暴力動画と思われるもの(適性AVも本質は同じだがより悪質なもの)が合法的に販売されている状況である。


65これらが正常な手続きを経て撮影・公開されているとはとても思えず、被写体となった人のその後が心配になる。また状況や内容の不同意性に加え「AV出演・被害防止救済法」の事業者の要件(留保期間等)が守られているのかも怪しい。おそらく警察が捜査すれば立件できるものも多いのではないかと思う。


66デジタル性暴力に関しては、児童ポルノの温床となるアプリを何故企業が放置しているのか、多くの問題点が指摘されているが、上記の動画が堂々と販売されている背景にもプラットフォーム側に悪意があるとしか思えない。僕はこれも人の営みのすべてを資源化しようとする新自由主義の弊害と思っている。


67実際に、性被害当事者の中にはPTSDに苦しみながら、被害時に撮影された自分の動画をネットで何年も探し続ける人もいる。それだけ、被写体となった人にしてみれば、自分の不本意な動画が無限に拡散し、永久に残り続ける可能性がいつまで経っても消えないことは、現在進行形で心を蝕む脅威なのだ。


68これらを「犯罪かどうか分からない」と見過ごしていてよいのだろうか。公共の福祉を前提とすれば、自ずと守るべき倫理観は見えてくるはずである。それでいうと、今の社会は規制の対象となるべき差別・虐待動画で溢れ過ぎている。過去・現在・未来の被害者を守るためにも、新たな法規制が必要である。


69先述の児童を対象とした漫画や生成AI等の性虐待表現も含め、ここまで絶望的に増幅し、正当化させてしまった男性の欲望を何とか縮小しなければならないと強く感じる。それが全人類の責任と強く思う。そうやって性暴力・性搾取・性犯罪をなくすために、一人でも多くの男性が変わっていくことを願う。


70※最後に補足として。性産業当事者の中には、業界の搾取や加害の構造をすべて知り、自身の苦しい体験もすべて糧にした上で、この業界で生きることを選択する人もいれば、悩み続ける人もいると思います。僕自身はそうした人を決して否定することなく、対話することを心掛けていきたいと思っています。





【補足】

③「性的人格権」は国際的に提唱されている「セクシュアル・ライツ」の概念を日本語に置き換えたもので、日本国憲法にはその言葉の記述は無い。しかし基本的人権に相当するものとして、日本では性暴力被害者の支援や売春せざるを得ない事情を抱える女性をいかに守るかといった文脈の中で議論が展開されてきた。

⑥⑦「性=人格説」について、憲法学者の中里見博さんは「人の〈性(セクシュアリティ)〉は人の〈人格〉と深いところで結びついている」がゆえに「労働と同一視されるべきでなく」むしろ「労働以上に篤く保護されるべき」としている。その上で、性的人格権を「性的自己決定権の行使によっても放棄されない—侵害されえない—実質的な性的権利」と位置付けている。
僕はこの中里見さんの理論を売買春だけでなく性産業全般に応用する必要があると考えている。この中里見さんの論文「ポスト・ジェンダー期の女性の性売買:性に関する人権の再定義」(2008)は必読である。
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jssiss/58/2/58_39/_pdf/-char/ja
また、2020年に発表された「性の売買と人権」も必読である。
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjsci/55/6/55_32/_pdf/-char/ja

⑯「男尊女卑のプロパガンダ」という言葉は、性暴力サバイバーとして社会を変えるための発信をしているハココさんのブログで知ることになったが、僕はこの言葉は言い得て妙だと感じている。これについて、ハココさんの考察は以下のブログで読むことができる。とても考えさせられる内容である。
■「ポルノは男尊女卑思想のプロパガンダ1」
https://hakoko-wf.com/blog/2024/07/02/propaganda/
■「ポルノは男尊女卑思想のプロパガンダ2」
https://hakoko-wf.com/blog/2024/07/05/propaganda-002/

⑯僕は「女性蔑視」と「ミソジニー」は意図的に使い分けているが、「ミソジニー」の定義はケイト・マンの『ひれふせ、女たち ミソジニーの論理』(2019)に依拠している。この本について、江原由美子さんが分かりやすく解説してくれているが、僕をはじめ、女性を抑圧的な立場に押し留めようとする価値観の正体が垣間見えて興味深い。
■「ミソジニー」って最近よく聞くけど、結局どういう意味ですか?
https://gendai.media/articles/-/70296

⑰⑱事業者が女性をAV出演に導く手口はさまざま報告されているが、男女共同参画局でもこのような注意喚起のページが作られている。
https://www.gender.go.jp/policy/no_violence/avjk/example.html

⑲性化行動について、児童養護施設職員(匿名)の方のこちらのブログでとても大事なことが書かれてあるので紹介したい。ここに書かれてあることは成人女性にも当てはまることで、虐待や性被害の「トラウマの再演」として、AVや風俗等の性産業に進む女性が一定数いることは以前よりも知られてきている。
■「性的虐待の恐ろしさを知ってください 被害者が苦しむ本当の理由は? 愛情を知らない子どもたち」
https://cansawa.livedoor.blog/archives/11650541.html
また、こちらの記事では精神医学的な見地から同様の問題について成人女性の視点で書かれている。
■「エロい子」と自認する人たちのはなし
https://makog.theletter.jp/posts/bbfa3680-b644-11ec-b27a-9ffbed365c1a
■そしてこちらの記事では、実際にトラウマの再演としてAV出演に至った女性の経験から、それが過去の克服よりも自傷行為として一層自身の傷を深めていくことが語られている。
https://www.nhk.or.jp/minplus/0026/topic055.html

㊵この部分は「表現の自由戦士」とズレが生じやすいところなのでもう少し補足すると、僕は決して作品の内容が公序良俗的であれと言っているわけではないし、人間社会において絶対に許されない行為である殺人・レイプ・暴力・差別等のシーンを絶対に描いてはいけないと言っているわけではない。闇の部分も含め、人間や社会の複雑さを描くこともエンターテイメントやアート作品の重要な役割となる。ただ、表現する側の意図や姿勢が問われるという話である。

㊼ポルノが脳に与える影響や性犯罪への影響については、それを肯定したい派と否定したい派でさまざまな議論が交わされるが、海外のこちらの動画など分かりやすいかもしれない。
■「ポルノについて語ろう」
https://www.youtube.com/watch?v=VvQSUMjWnXA
また精神保健福祉士・社会福祉士として加害者臨床に関するたくさんの本を出している斉藤章佳さんのこちらの記事も参考になる。
■「痴漢はAVの影響?アダルトコンテンツと性依存症の関係」
https://www.gentosha.jp/article/17512/
また、この記事のようにAVを模した夫婦間・恋人間DVは無数にあると思われる。
■「夫の性的要求を断ると暴言」「AVまがいの性関係」夫婦間の性的DV、刑事事件化に壁
https://www.bengo4.com/c_1009/n_14562/

㊿子どもによるデジタル性暴力に関する最近のニュース記事。
■「子どもが加害者にも被害者にも… 学校内の盗撮」
https://www.nhk.or.jp/minplus/0026/topic129.html
■「もし、あなたの卒業アルバムが裸にされたら」
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20240914/k10014580201000.html

66児童ポルノの温床となるアプリに関する最近のニュース記事。
■「SNS 子どもの性被害 プラットフォーム企業の責任は?」
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20240620/k10014485451000.html

70性産業について、元従事者であり、性暴力サバイバーでもある立場から社会を変えるための活動をしている石川優実さんのこちらのブログはとても考えさせられる。この機会に是非ご一読いただきたい。
■「どちらにもつけない立場から。AV新法とセックスワークのことで考えたいろんなこと」
https://ishikawayumi.jp/sexwork2/



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