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  • 執筆者の写真Kazuki AGATSUMA

性暴力・性搾取・性犯罪をなくすために男性がすべきこと

この文章は、「AVの性加害肯定表現を許さない会」が立ち上げた署名運動「性加害・性犯罪を肯定して性欲を煽る作品の罰則付き禁止を求めます」を応援するために書いた文章です。そこから派生して、この社会に根付く女性蔑視や性産業の問題について、自身の経験も踏まえながら考えを整理した文章になっています。

元々X(旧Twitter)で108連続ポストする想定で書いたため、一段落ごとに通し番号が付いています。



【目次】

01.「AVの性加害肯定表現を許さない会」の署名運動
02.男性による女性支配の一形態としてのAVと自己を問い直す
03.性産業に従事する女性の背景と同意・自己決定の幻想
04.AVによる人権侵害と被害を生み出す構造
05.女性の搾取を維持する男尊女卑の構造
06.自身の性産業の利用経験と自覚なき差別、認識の変化
07.性産業=人権侵害という視点から見えてくる歪み
08.男性であるがゆえの加害性と欺瞞性を抱えて
09.性搾取の仕組みを無くすために必要な改革
10.社会を変える女性たちへの連帯




■1.「AVの性加害肯定表現を許さない会」の署名運動


【性加害・性犯罪を無くすため、男性は全員署名すべき】


①「AVの性加害肯定表現を許さない会」が立ち上げたVoiceに署名しました。


AVに対して疑問を抱きながら何も動けずにいた男性の一人として、このような署名運動を立ち上げてくださったことに心からの敬意を表します。


②一部明らかに妨害のような悪質なコメントが混じっておりますが、それらを除外すると、現時点で男性の応援コメントは1割未満でしょうか。これは主に男性の、求める側の問題であると思います。今までAVを観たことがある男性は全員署名すべきと思います。


以下、AVおよび性産業に対する僕の考えです。



■2.男性による女性支配の一形態としてのAVと自己を問い直す


③まず、ほとんどのAV(ここでは商品として流通しているアダルトビデオ全般を指す)が映すものは、性欲でも性の豊かさでもなく、女性をモノ化し、抑圧する加害欲と支配欲。多くの場合、出演する女性の同意も自己決定も幻想で、そこに映っているものは生身の人を利用した本物の性暴力です。


④男性の多くは当たり前過ぎて感覚が麻痺しているかもしれませんが、そもそも避妊具を付けずに挿入する行為や膣内に射精する行為自体がすでに性暴力と言えます。それは女性の身体の安全よりも男性の性的満足を優先した、一般的なフィクションの撮影現場ではありえない行為です(そもそも挿入自体も)。


⑤それはつまり、表向きにはフィクションを装いながら、その本質は「女性は性的に弄ぶことが許される従属的存在である」という誤ったメッセージを積極的に発信する差別行為、虐待行為と言えます。そしてその暴力性は、AVごとに強弱のグラデーションがあったとしても、本質的にはすべて同じと言えます。


⑥このような行為を許容することは、女性蔑視に基づく搾取の仕組みの維持と強化、そして性暴力を許し、助長する社会の空気作りに加担します。それはこれから大人になっていく子どもたちの性の価値観をも大きく左右し、新たな加害と被害を生み出すことになるのではないでしょうか。


⑦現に、日々ニュースになる性犯罪を見れば、AVが性加害に対する認知を歪める大きな要因となっているのは間違いないですし(加害者臨床の現場でもこれは指摘されている)、スマホを利用したデジタル性暴力(性行為や性的姿態の撮影およびネットやグループ間での共有)が低年齢化しているのも心配です。


⑧だからこそ「自分は暴力的なAVは見ない」と言って免罪されようとするのではなく、人の性(尊厳)が軽視され、性暴力の不安と隣り合わせにある社会はみんなで声を上げて変えるべきなのではないでしょうか。そのためには、まずはAVが男性による女性支配の一形態であるという理解が必要不可欠なのです。


⑨かく言う僕も、自分を棚に上げて偉そうなことが言える人間では全く無く、上記のような搾取や社会の空気作りに無自覚に加担してきた加害側の人間です。そして正直に言うならば、今も女性の性を消費したい欲求は根本にありますし、AVを含むアダルトコンテンツに頼りたくなる瞬間があるのも事実です。


⑩また、AVの中にはごく一部、女性主導の制作体制で、ストーリー重視かつ男女を対等に、女性が望む性行為を幸福感をもって描くことに特化したものもありますが、そうしたAVであれば「表現の自由」の観点から肯定したい気持ちもあるのです。(実際、性の豊かさを求めても叶えられない人もいるので。)


⑪その意味では、僕の中にも女性蔑視は根深くありますし、未だにAVの「改善派」と「撤廃派」の間を揺れ動いているところもあります。(気持ちとしては後者に振り切りたい。)その点「偽善的」と非難されても否定はできませんし、そんな自分に応援コメントを贈る資格などあるのだろうかと悩みました。


⑫では、そのような半端な人間が何も連帯してはいけないのかというと、それもまた違うのかなと思います。男性として、エロ(性差別的なポルノとは区別しています)を求める心理は否定できないとして、現AVの大部分を占める、性加害・性犯罪を肯定する内容のものは淘汰されるべきと心から思います。


⑬そのために「この映像は問題があるのではないか」と先陣を切って訴える会の存在は非常に重要と思いますし、AV事業者だけでなく、女性の自慰動画の販売や自慰のライブ配信を斡旋する事業者、そしてこうしたものが販売・配信・投稿できたりするプラットフォームやアプリも規制していくべきと思います。


⑭とくに、近年増えている個人撮影のAVなどは、より加害性・犯罪性が高く、ライブ配信などは、身体接触が無いだけで集団によるグルーミングと性虐待です。そこでは、まだまだ自己形成期に当たる18、19の少女を中心に、自分が置かれている状況を搾取と認識できず疲弊していく女性がたくさんいます。


⑮そのことを考えたら、せめて性産業従事の年齢やグルーミング罪の適用は最低でも20歳に引き上げるべきだと思いますし(本当はそれでも低い)、ここまで加害の間口が広がってしまうと、そもそもスマホのカメラ機能として、裸は録画できなくするなどメーカー側の対策も必要になるのではないでしょうか。



■3.性産業に従事する女性の背景と同意・自己決定の幻想


⑯このような話をすると「本人もやりたくてやっているはずだ」という“冷静・中立”な意見も聞こえてきそうですが、大前提として、僕はAVを含む性産業に従事する女性の中で、積極的かつ周囲に堂々とできている人は1%もいないと思っています。(その方たちもそれが本当の自由意思かというと疑問です。)


⑰大部分の人は、周囲に堂々とできないうしろめたさや自己矛盾を抱えながら働く消極的従事者もしくは錯誤的従事者。そしてその方たちが性産業に流れ着くに至った背景や同意・自己決定のプロセスを考える上で、何かしらの制約や誘導といった構造的な問題があることを無視してはならないと感じています。


⑱ちなみに上記の消極的従事者は、背景に貧困や借金等の経済的事情があり、生活のために選択の余地なくやらざるを得ない人たちを指し、錯誤的従事者は、背景に虐待のような逆境的環境、性被害のトラウマ、知的・発達障害特性、知識・情報の不足、若さゆえの好奇心や孤独・承認欲求等の心の隙間があり、


⑲それらがグルーミングや欺罔(ぎもう)や偏った価値観の刷り込みによって誘導された結果、性的に消費されることを「自分が望んで選択したこと」「自分に合っていること」と思い込まされている人たちを指しています。複合性や濃淡はあれども、どちらも社会的弱者や被害者的な立場にある人たちです。


⑳例えば、性産業で働く女性の中には、過去に虐待を受けたり性被害を受けたりした経験を持つ人が一定数います。その中には、精神医学でいうところの「トラウマの再演」という形で、自分を守る、あるいは過去を克服するための反応として、性のボーダーが壊れ、性的行為を繰り返してしまう人もいます。


㉑しかし、一見本人が積極的に望んでいるかのように見えるこうした行為は一種の自傷であって、本人の中では精神的ダメージが澱のように蓄積され、長い時間の中でさまざまな形の体調不良として現れることが臨床現場では分かっています。それはSNSで発信しているサバイバーの声を聞いても明らかです。


㉒また、知的・発達障害特性については、例えば人とコミュニケーションを取ることや特定の分野の仕事に就くことに困難を抱える女性、あるいは人を信じやすい、人から求められたら拒めないといった女性が、その特性を巧妙に利用されたり、性産業に依存させられたりするといった問題が指摘されています。


㉓もちろん、これらはあくまで一例であって(さらにその人が持つ属性の一部であって)、実際には人によってさまざまだと思いますが、男性が性産業で働く女性の背景を考える上ではとても重要な視点だと思います。そして先ほど挙げた少数の積極的従事者の中にも、おそらくこうした人は含まれるでしょう。


㉔さらに市場原理主義の影響で、現在ではSNSの広告やインフルエンサーを通して、「性産業はクリーン」であるとか、「性的に魅力的であることが素敵である」といった価値観が早いうちから刷り込まれ、それがルッキズム等の憧憬と合わさり、若い女性を性産業に引きずり込む罠になっているとも言えます。


㉕個人的には、こうして間口が広がり、いわゆる「普通の子」が性産業に従事するハードルが下がったことはとくに厄介と感じています。中には広告や面接の段階では性的なことと無縁を装いながら、実際には客の性暴力に晒されるようなものもあり、若い女性はそれを詐欺や性暴力と認識できないのです。


㉖その中には、近年さまざまな強要被害や詐欺被害が明るみになってきたように、支援に繋がるべき見えない被害者がたくさんいるはずなのです。にもかかわらず、「本人がやりたくてやってるんでしょ?」という男性は、女性を性産業に追いやる社会構造や被害の実態が見えていないのではないでしょうか。


㉗もちろん、こうした女性たちの中にも、自分が置かれた状況の中で最善を尽くそうと、自分なりの考えや軸をしっかり持って、客観的に見たら十分「被害」と言えるようなことにもある程度耐えながら、プライドとやりがいを持ってこの仕組みを「活用」しようとしている人もたくさんいると思います。


㉘一口に「性産業」と言ってもさまざまなタイプのものがありますし、そうして今この瞬間真剣に向き合っている当事者のことを考えたら「一様に被害者と決め付けるな」「それはスティグマを生むだけだ」という意見も理解はできます。僕自身、そうしてがんばっている当事者のことを決して否定はしません。


㉙しかしその方たちが、自らの尊厳を切り売りして、心身ともに消耗してまでこの仕組みを望んでいるのかというとそれは違うと思います。彼女たちの多くは、背景や現状にとくに問題が無く、他の仕事が安定した収入があるなど条件が整ってさえいれば、わざわざ進んで性を売る必要などないはずだからです。


㉚それだけ、自分が望まない形で性的なものに晒され続けるのは、確実に心身の負担になりますし、何より、堂々とできないことを続けると、いずれ自分自身が辛くなってしまうということは当事者が一番よく分かっているのではないでしょうか。仮に目先の収入が魅力的だとしても、その代償は大きいのです。



■4.AVによる人権侵害と被害を生み出す構造


㉛ならば、そういう方たちのためにも、利用する側の意識を向上して、女性が働きやすい業界に改善していけばお互いにwin-winなのではないか、AVに関しても、暴力的・性差別的な表現に陥ることなく、出演者を丁重に扱えば何も問題無いのでは、と思いたくなりますが、僕はそれもまた違うと思っています。


㉜何故なら、「性的人格権」の観点から言えば、「性=人格と深く結び付いているもの=人の尊厳そのもの」であり、内容や同意や相手に敬意や労りを持って接しているかにかかわらず、人の性(労働・技術・才能による成果ではなく尊厳)を商品化すること自体が問題であり、人権侵害と言えるからです。


㉝その前提に立てば、AVを含む性産業そのものが、本来あってはならないものということになります。仮に従事者本人が望んだとして、「当事者同士合意があればOK」「どんな仕組みも使う人次第」といった前提は崩れ、雇う、売る、買うといった行為自体が倫理的問題を孕み、加害への加担となるからです。


㉞さらに、人の気持ちというのはとても繊細で複雑なもので、成長とともに人格にも変化があるように、自身の性の価値観も変化する可能性があります。つまり、性を売ることに対して現時点で抵抗がなくても、時間を経て本人の生活環境や内面が変化したときに、それが重荷となる可能性も十分あるのです。


㉟実際、AVでなくとも、グラビアアイドルやジュニアアイドルを例に挙げれば、立派なアイドルになるためにどんな仕事もがんばろうと思って楽しくカメラに笑顔を振りまいていたつもりが、時間が経ってその当時を振り返り、知識がない自分がただ性的に消費されていただけと知って苦痛となる人もいます。


㊱また、映画を例に挙げれば、とくに性差別的ではないヌード・シーンの撮影でも、長い年月を経て、性的客体化された自身のイメージに苦しんでしまう俳優もいるので、性行為そのものを享楽的に消費する目的で作られたAVの出演者などは、内容や同意にかかわらず、そのリスクはより高まると言えます。


㊲しかも今はネットの特性から、一度発信されたものは半永久的に残り、無限に拡散し続け、現在進行形で出演者の心を蝕む危険もあります。このように、最大限の慎重さが求められる性行為の撮影・発信においては、出演者の将来的なリスクまで想定して、十分な納得や心の整理が必要不可欠なはずなのです。


㊳2022年6月に施行された「AV出演被害防止・救済法」が「契約から1か月間の撮影の禁止」や「全ての撮影終了から4か月間の公表の禁止」を義務付けているのはそのためでしょう。これは選択肢が狭められた結果AV出演に至った女性がのちのち後悔することにならないよう、最大限配慮された措置と言えます。


㊴では、当のAV業界が、このデリケートな問題に対してしっかり考えてきたのかというと、実はそうとは言えません。むしろ事業者の多くは、都合よく物事を進めるため出演者に必要なことを敢えて伝えず、十分に考える隙を与えず、ときに脅迫を用いて同意せざるを得ない状況に誘導してきた経緯があります。


㊵しかもお金が発生している時点で、そこには対等でない力関係が働きます。出演者の中には表面上楽しそうな表情を見せていたとしても、本音を訴えられず、その状況に迎合するしかなかったという人もたくさんいます。モヤモヤを抱えながら、その正体を「被害」と認識できない場合もたくさんあるのです。


㊶そこで行われているのは、もはや丁寧な説明と同意に基づく表現などではなく、本物の性暴力です。むしろ、だからこそAVは需要があるのです。何故なら多くの男性が求めているのは、女性を性的に屈服させ、加害欲と支配欲を満たすこと。そのためには「本当に起こっていること」のほうが刺激的なのです。


㊷そうして、本来であれば支援に繋がるべき女性でも、その背景は見ないことにして、相手の同意を都合よく操作し、利用してきたという実態。事業者の中には、自身の加害性への自覚が乏しいどころか、逆に「自分は困っている女性を助けたのだ」と搾取を正当化して何も疑問を感じない人もいるのでしょう。


㊸こうして見ると、「AV業界はクリーンである」「AVに偏見を持たないで」という言説は、あくまでごく少数の積極的従事者(それも自身の訴えを聞き入れてもらえる人たち)との間にしか成立しないように思います。そもそも人に堂々と言えないことをさせている時点で、それは健全な仕事とは言えません。


㊹そしてAVを視聴する側の男性も、「映っているものはすべて同意の上でのことなのだろう」「本人もやりたくてやってるのだろう」という暗黙の了解の元、それを楽しむ自身を正当化し、安心して女性の性を消費しようとします。フレームの外にある背景を考え出したら、今この瞬間快楽に耽れないからです。


㊺そこでは目の前の女性の人生よりも、今この瞬間、その人を利用して利益や快楽を得ることのほうがずっと大事なのです。その結果、人知れず苦しんでしまう女性や自ら命を絶ってしまう女性がいても、それは「自己責任」や「個別の事情」とされ、長年悪しき構造に目が向けられることはなかったのです。


㊻つまり、大元に「女性の性を消費したい」という男性の欲望さえなければ、このような搾取の仕組みは生まれないのです。そして男性の際限無い欲望が多くの不幸を生み出してきたからこそ、「AV出演・被害防止救済法」のような対策が必要になったのだということを僕たちは真剣に考えなければなりません。



■5.女性の搾取を維持する男尊女卑の構造


㊼にもかかわらず、僕自身、どこかで「誰も不幸にならない形で残す方法はないのだろうか」という考えが抜け切らないのは、僕の中で男性(加害側)としてのバイアス=「出演者の苦しみを軽視し、本人の意思よりも“良い映像”が残ることのほうが大事と思いたくなる心理」が働いているからなのでしょう。


㊽実際に搾取の仕組みの中に取り込まれて苦しんでいる人の存在を知っているはずなのに、何かと理由を付けてこの仕組みを残したいと思ってしまう。男性のためにはそれが必要であると思ってしまう。その発想が「仕方がない」と許されること自体が、男尊女卑社会を如実に表しているのだと思います。


㊾そのことを自覚した上で、ではどこまでがOKでどこからがNGなのか「表現の自由」との調整が必要になると思うのですが、そこで差別や虐待を抑制できるように、今は「性加害・性犯罪肯定表現を許さない」という具体策で一致団結すべきなのだと思います。(それでいうと現AVの大部分はNGだと思います。)


㊿そこで「やりずらい」「損失」と捉える事業者は、性加害・性犯罪を肯定したい気持ちの裏返しなのでしょうから淘汰されるべきと思いますし(それは「不同意性交等罪」を否定したい男性も同様と思います)、それだけ性を扱うということが重大であるということは絶対に忘れてはならないと思います。


51)ちなみに、こういうことを書くと必ず「AVを規制したら逆に犯罪が増えるだろ!」「俺たちの性欲はどうするんだ!」と必死になる男性が現れますが、そのような方に本当に必要なのは依存症の治療です。それが理解できない人は、自分の中の女性蔑視や加害性を全肯定して変わりたくないのだと思います。


52)そもそも、犯罪防止のためには誰かの犠牲もやむなしとする発想がよく分かりません。そのために女性は男性に奉仕すべきというのはいかにもミソジニーの論理です。犯罪防止は教育・科学・福祉・制度等別な観点から取り組む問題であって、女性を搾取する構造を維持することの正当性にはなりません。


53)AVは癒しである、クリーンである、性犯罪の防止に繋がる等、一見もっともらしく聞こえるこれらの言説によって一番得をするのは人を利用して利益を得る事業者です。こうした言説が、被害に苦しむ女性をさらに傷付け、性暴力・性搾取を肯定する社会の空気を醸成することを考えないといけません。


54)なお、「何でドキュメンタリー屋のお前がAVの問題に口を挟むんだ!」と思われるかもしれませんが、作品の発表後も被写体への配慮を続け、人生を通してその尊厳を守る義務があるドキュメンタリー映画の観点から捉えた場合に、こうした映像をめぐる人格権の問題は、決して他人事では無いのです。


55)その意味では、映像表現に携わるあらゆる人が、こうしたAVやデジタル性暴力の問題についてもっと考える必要があるのではないでしょうか。膨大にある社会課題の中でも、男性はとくに性搾取を避けがちで、あらゆる差別に反対でも、女性蔑視だけはダブルスタンダードだったりするのですが…。




■6.自身の性産業の利用経験と自覚なき差別、認識の変化


56)以上、AVや性産業の問題について僕なりの考えを書いてみましたが、僕自身、最初に書いた通り、自分を棚に上げて偉そうなことが言える人間では全く無く、AVに関しても、特段大きな疑問もなく受容・消費してきた加害側の人間です。(いかにも暴力的なものは抵抗があるにしても、五十歩百歩です。)


57)また、過去には風俗等の性産業を利用していたこともありますし、そこで出会った女性たちに恋したことも救われたこともあります。(お金で得た関係を決して美化はできませんが。)その意味では、自分が全く必要としていないから、全く理解できないからこの業界を批判しているわけではないのです。


58)しかし、僕にとってある大きな出来事がきっかけとなって、性暴力や性搾取について学ぶようになり、性産業に対する見方が180度変わることになったのです。(詳しくは書きませんが、自分の未熟さと無力さに長いこと苦しんだ。)そして、男性の立場から何とかしなければと思うようになったのです。


59)それまでの僕は、性産業に対して、男性(AV制作者や風俗等の事業者や利用者)が女性を優しく丁重に扱い、女性も不快に思うことが無ければ、それは「仕事」として成立するものと思っていました。だから女性が自らの意思でやる分には、その選択を尊重することが「多様性の尊重」と考えていました。


60)そして、女性がこの世界で尊厳を保ちながら働くためには、利用者のマナーの向上が必要不可欠で、女性への敬意と労わりがあるからこそ、性が搾取的なものではなく、豊かな意味合いを持つものになると思っていました。(実際、僕も過去にはこの点に気を付けながら性産業を利用していたつもりです。)


61)その意味では、僕の考え方は「セックスワーク・イズ・ワーク論」(性=労働論)に近かったと思います。つまり、女性が提供しているのはあくまで性的サービスであって、客が女性の意思や人格までを支配する特権を買えるわけでは無く、「嫌なものは嫌」と当然に尊重されるべきと考えていたのです。


62)しかし、僕にとってある大きな出来事がきっかけとなって、そうした性産業に対する考えに疑問が生まれることになりました。果たして雇用する側や利用する側の意識が向上して、女性が働きやすくなればそれでOKなのか。家族にも誰にも言えないやましさの根底には、何か別の理由があるのではないか。


63)はじめのうちは、女性がそうしたやましさを感じることなく、堂々と誇りを持って仕事ができるようになるためにも、男性側の意識の向上によって業界を改善し、偏見を無くす必要があると考えていました。しかし性暴力や性搾取の問題について勉強する中で、その考えが根底から覆ることになったのです。


64)つまり、働く女性の納得や雇う側のケアや利用する男性の人間性云々以前に、性産業そのものが、男尊女卑の社会が維持してきた女性の抑圧と支配の形態であり、人権侵害なのです。そしてそれが差別であるということに気付かないほど、僕たちの社会は女性蔑視的価値観に洗脳されてしまっているのです。


65)ちなみにここで言う人権には、先述の「性的人格権」(性=人格=人の尊厳そのものであり、売買できない絶対的なもの)のほかに、「性的自己決定権」(誰といつどのような性的関係を持つか)等があります。言葉の定義については意訳していますが、どちらも人の基本的人権にかかわる重要な権利です。


66)つまりそこで売買されているのは人の尊厳なのです。(仮に性産業が労働だとして、一般的な労働では年齢と経験を重ねて技術が熟練した人ほど足場が固まるのに対し、性産業は逆で、多くの男性が求めているのは未熟さを都合よく消費することであるとする見方も、これを裏付ける一説となっています。)


67)にもかかわらず、「セックスワーク・イズ・ワーク」という、性産業を美化する言論が蔓延し、それを支持したり積極的に拡散したりする女性が一定数いるのは、女性蔑視的文化にあえて適応することで社会での居場所や自己肯定感を獲得するという、女性ならではの生き辛さも関係しているのでしょう。


68)そう考えると、それが本当の意味での「自由意志」と言えるのかは疑問です。むしろそれは、女性は男性の所有物であり、男性のまなざしによって価値が決められるという支配構造を、女性自らが強化し、互いに監視し合うよう仕向けられているとも言えるのです。(美容・整形・脱毛・服飾等も然り。)



■7.性産業=人権侵害という視点から見えてくる歪み


69)そして性産業が存在する限り、人(とくに若い女性)を巧妙に欺いて利益を得ようとする者が現れ、「こういう仕事だし、お金を払ってるのだからある程度のことは許される」という歪んだ特権意識のもと、自らの加害欲と支配欲を都合よく満たそうとする者(誰もが成り得る)が現れ、被害が生まれます。


70)そして性産業が圧倒的にお金になり、世の男性がそこから利益を得続けたいからこそ、その本質や実態はさまざまな衣をまとって見えなくされ、男性にとっては生物的に必要なもの、女性にとってはセーフティネットとして必要なもの等、「だから仕方がない」という議論にすり替えられていくのです。


71)そして「今さえよければ」というまさに市場原理主義的な価値観がこれを促進し、学費や借金等貧困で苦しんでいる女性に限らず、こうした価値観の影響を受けた女性が本人の自覚のないままに性搾取の世界に誘導され、のちのち辛い思いをしてしまうのです。そこに男性側の責任は全く無いのでしょうか。


72)つまり、性産業を利用する男性がいかに紳士的だとしても、それを利用すること自体が被害を生み出す仕組みの維持と強化に加担してしまうのです。つまりは加害者側なのです。男性の需要さえなければ、性産業がお金になることもなく、本来ほとんどの女性はこのような仕事を選ばないはずなのです。


73)そもそも紳士的に女性に接したとして、その優しさは一体何のため・誰のためでしょうか。暴力的な振る舞いは論外ですが、そこでは「かわいいね」「がんばって」といった好意的な言葉の投げかけ自体がグルーミングの一種なのです。それは女性が主体的にこの仕事をするよう錯覚させる行為なのです。


74)巷では、よく「性を売りたい人がいるから買う人が出てくる」という言い方がされますが、それは逆です。女性を買いたい男性がいるからこそ、仲介としての業者が進出し、建前だけの枠組みとルール(加害を働く余地)を作り、買う行為が幻想とともに正当化され、性産業が一大産業となっているのです。


75)しかし本来であればどんな状況でも性を買ってはいけないのです。だから男性が本当にすべきことは、性産業で働く女性の意思を尊重し、応援することではなく、「やめてほしい」そして「一緒にこの仕組みを無くそう」と伝えることなのです。(ただし、当事者の方々を決して否定も非難もできません。)


76)それを本気で言う人が周りにいないから、それどころか「自由意思」と言って利用しようとする人がいるから、女性も自らを欺き、やましさを正当化するしかないのです。しかしそれが健全でないことは本人が一番分かっているはずなのです。そしてそれこそが、おそらく僕のモヤモヤの正体だったのです。


77)世の多くの女性からしたら、「何を今さら」という感じかもしれません。しかしこれが世の多くの男性の現実だと思います。人間性とか社会的立場とかは全く関係ありません。多くの男性の中で、人権という観点が抜け落ちているのです。「優しさ」や「思いやり」は上記の加害性を何も免罪しないのです。


78)人権擁護を訴える声を揶揄する男性には、一度この辺のことを考えてほしいと切に願います。そもそも性行為とは、本来人としての対等なコミュニケーションの延長にある、信頼関係と一切制約のない合意の上に成り立つものです。それ以外は性暴力と言えます。つまり性産業とは性暴力の商業化なのです。


79)もちろん、人によって状況も環境も違うので、もしかしたら、中にはさほど疲弊したり、のちのち辛い思いをしたりせずに済む人もいるのかもしれません。ただ、「知らぬが仏」という言葉もあります。いずれにしても、男性はそこに甘えず、確実に生まれ続ける被害から目を背けてはいけないのです。



■8.男性であるがゆえの加害性と欺瞞性を抱えて


80)以上、僕自身の性産業の利用経験や性産業に対する認識の変化、そこからの学びを通して至った結論を書いてみましたが、何故このようなことを書くかというと、僕が性暴力や性搾取の問題について声を上げて「変えたい」と思うときに、自身の性産業の利用経験を無視することはできないからです。


81)たしかに、性産業の利用自体は現時点で合法的なものですし、僕自身、過去には相手の尊厳を傷付けないよう気を付けながら利用してきたつもりです。しかし性に関する人権や被害の実態、そして搾取の構造について学んで以降、「どんな仕組みも使う人次第」といった前提は大きく崩れてしまったのです。


82)そんな自分に、果たして何か言う資格などあるのだろうかと躊躇うことはあります。しかし自分のような、男性としての特権性や加害性に無自覚だった人間だからこそ、サバイバーとして、支援者として、日々無理解な言論と闘う女性たちのために、力になれることもあるのではと思ったりもするのです。


83)一方で、「俺たちだって、そんな加害欲や支配欲ばっかりじゃないよ」「1%でも受け入れてくれる女性がいるなら、その人たちに甘えてもいいじゃないか」という男性の気持ちも分かります。僕も後退して後退して、例えば⑨で挙げたAVのように、残せるものもあるのではと思うところもあるのです。


84)実際、世の男性には性の豊かさを望んでも叶えようもない人もいるわけですから、性を完全に遠ざけるよりも、搾取にならないよう最大限注意しながら、新しい枠組みの中で性に対する学びと充足感を得る方法もあるのではと考えたりもするのです。そして今もこの考えは捨て切れないところでもあります。


85)ただ、それが健全な形で成立するものなのか、今の自分には結論が出せません。それに、そもそもこのように「残すこともできるのでは」と表明すること自体が、自身の論旨と矛盾し、被害に苦しむ女性をさらに傷付けることになってしまうので、中途半端なことを言ってはいけないことも自覚しています。


86)そのため、僕自身、偉そうなことを言いながら、自身がダブルスタンダードであることの自己矛盾を常に感じています。僕自身、理性ではアダルトコンテンツを批判しつつ、本能では求めているところもあるため、女性に対する最大の当事者消費をしているのではと自身の欺瞞性を疑うところもあるのです。


87)理論的には、性産業は人権侵害だから全部無くすべきという考えを支持したい。しかし本能では女性を消費したい気持ちもあるから、本音では部分的に残して、その枠組みの中で起こる問題を改善すべきと思っている。しかし理性では、どうしたって搾取は免れないから、無くすしかないという結論になる。


88)おそらく、多くの男性が性暴力に対して声を上げられないのは、何とかしたいと思ってはいても、僕のように、自身が性暴力を商業化したコンテンツから完全に解脱できていないという自己矛盾もあるからなのではと思います。「綺麗事を言っても嘘になる」という苦しみは、僕も痛いほどよく分かります。


89)しかしながら、この男尊女卑社会では、身の回りにどうしてもたくさんの誘惑で溢れているため、男性はもはやダブルスタンダードから出発するしかありません。そうして自身の加害性も欺瞞性もすべて認めて、発言・行動・改革をしながら、同時にアダルトコンテンツから解脱していくしかないのです。


90)だからこそ、僕はなるべく自分を棚に上げたくないと思いました。それによって、女性のみなさんや活動家のみなさんから非難されたとしても、自分は自分でこの問題に取り組むしかないと思っています。(本当は、こうして署名に便乗して「お気持ち」を述べることも迷惑なのかもしれませんが…。)


91)自分語りが長くなってしまいましたが、とにかく、AVや性産業の本質を知ってしまった以上は一人の人間として何とかしたい。そして男性目線の加害欲や支配欲に異常に特化した女性蔑視的なアダルトコンテンツの現状を変えたい。それが、僕の年代の男性の、未来に対する責任でもあると思っています。



■9.性搾取の仕組みを無くすために必要な改革


92)その他、業界にたくさんいるであろう、周囲に堂々とできないうしろめたさや自己矛盾を抱えながら必死にがんばっている女性たちが繋がる先として、福祉や支援制度を充実させるなどの政策や、そもそもの選択肢として、エッセンシャルワーカーの賃金を上げるなどの政策も必要になってくると思います。


93)僕は長年、副業で高齢者や障害者(重度発達障害を含む)の身体介護をしていますが、仕事内容に対して賃金は低く、この物価高の中で賃金がほぼまったく上がらない業界でもあります(僕だけ?)。これも、要因の一つに「女性の家庭内の仕事」として低く見られてきた名残があるのかなと思っています。


94)実際、理論上は性産業の問題点を指摘できても、現状、そこに頼るしかない女性たちのほかの受け皿や支援の情報が整備されていなければ、問題は解決できません。その意味でも、まずは性産業がお金にならないように、事業者や利用者を規制し、罰則を設ける法律が必要になってくるのだと思います。


95)ちなみに、日本には1957年に施行された「売春防止法」がありますが、これは性を買う側に対する罰則がなく(売る側には勧誘罪が適用される)、そもそも言葉が売る側に主体性があるかのような表現で問題視されており(これも男尊女卑社会の表れの一つ)、これも早急に法改正が必要と感じています。


96)そしてもう一つ緊急を要するのが、性産業従事の年齢を引き上げることです。冒頭でも触れましたが、十代というのは社会的にも知識的にもまだまだ自己形成期であり、性の意思決定も未熟です。これが不幸を生み出す大きな要因にもなっていると思うので、少なくとも20歳に引き上げるべきと思います。


97)また、自治体の福祉課では、稀に生活保護を求める女性に対して性産業で働くことを勧める職員もいるようですが、一見、性産業も現時点では合法だから問題ないように見えて、それが本質的に性売買の延長であるということを福祉に携わる人が理解できていないのも問題であり、改善が必要と思います。


98)「職業に貴賎なし」はごもっともですし、性産業で一生懸命がんばっている女性たちの権利擁護を考えたら「セックスワーク・イズ・ワーク」と言いたくなる気持ちも理解できますが、「SWIW論」は本質的な問題の解決にはならず、それによって人権侵害を美化・正当化してはならないと感じています。


99)一方で、今この瞬間一生懸命がんばっている当事者が危険な目に遭わないための対策も必要です。これは性産業で働くことを推奨するようで矛盾するかもしれませんが、事務所の詐欺や利用者の性暴力、性感染症等、正しい知識を得たり相談したりするための支援窓口が、より必要になるのではと思います。


100)同時に、あらゆる年代に対する人権教育や性教育によって、性暴力や性搾取を無くしていく価値観を底上げしていくことが必要なのではないでしょうか。具体性に欠けるかもしれませんが、理想を持ち続けないと状況は悪くなる一方なので、ここは諦めないで声を上げ続けるしかないのかなと思います。


101)そうやって「業界が改善されて女性が働きやすくなればそれでOK」ではなく、最終的には性産業そのものを無くす必要があるのだと思います。そのためにも、まずは求める側である男性が自らの加害性を認め、意識改革(性産業=人権侵害=性暴力の商業化という理解)をする必要があるのだと思います。



■10.社会を変える女性たちへの連帯


102)最後に、ほとんどの男性は未成年であろうと独身であろうと既婚であろうと、一生自身の性欲と折り合いを付けながら生きていかざるを得ません。つまり男性であるというだけで、加害と被害を生み出す仕組みに直接的にも間接的にも一生関与し続けると言えます。


103)しかしながら、女性蔑視的なアダルトコンテンツが飽和し、社会の隅々まで浸透してしまった現在では、男性は骨の髄までその影響を受け、その依存性にはなかなか気付けません。それどころか、SNSで不快感や恐怖感を示す女性に対して、どういうわけか執拗に攻撃する男性が目立ちます。


104)そしてパートナーがいるなどたまたまアダルトコンテンツを必要としない男性でも、こうした性差別的なコンテンツが社会的に(公共の場でも子どもたちに見える場でも)肯定されていることの異常性にはなかなか気付けず、「現状を変える」という発想にまではなかなか至りません。


105)一方で「AV出演・被害防止救済法」の成立も「不同意性交等罪」の成立も、変えてきたのは被害当事者や支援する女性たちです。声を上げる女性が気に入らない、既得権益を守りたい男性のバッシングや二次加害に晒されながら「一人の不幸も生み出さない」という強い気持ちで変えてきた女性たちです。


106)こうした女性たち(ともすれば「極端」と揶揄されがちな女性たち)が、守るべきもののために行動し続けたおかげで、この社会は大きく変わってきました。そして僕自身も、こうした方たちのおかげで自身の価値観や認識が大きく変わることになりました。


107)男性は、そのことにしっかり向き合って、直接的でも間接的でもこれからはその行動に連帯していく必要があると思います。どこかにうしろめたさや自己矛盾があって一歩を踏み出せないのであれば、その葛藤も抱えながら。この社会の男尊女卑の構造を変えて、性暴力・性搾取・性犯罪を無くすために。


108)以上、長くなりましたが、この文章を読んでくださった方が、自分の中の差別や女性蔑視を見つめるきっかけになれば幸いです。そして6月30日までの間に一人でも多くの署名が集まることを祈ります。


※以下、参考までに、過去に投稿した関連ポストです。


■2023年8月~9月投稿の28連続ポスト


■2023年10月投稿の7連続ポスト


■2023年11月投稿の33連続ポスト




【参考文献】

 

『ポルノグラフィと性暴力―新たな法規制を求めて』(中里見博/明石書店/2007)

『証言 現代の性暴力とポルノ被害~研究と福祉の現場から~』(東京都社会福祉協議会/2010)

『AV出演を強要された彼女たち』(宮本節子/筑摩書房/2016)

『性暴力被害者の法的支援―性的自己決定権・性的人格権の確立に向けて―』(特定非営利活動法人性暴力救援センター・大阪SACHICO/信山社/2017)

『フェミニストとオタクはなぜ相性が悪いのか―「性の商品化」と「表現の自由」を再考する』(香山リカ・北原みのり/イースト・プレス/2017)

『セックスワーク・スタディーズ―当事者視点で考える性と労働』(日本評論社/2018)

『「小児性愛」という病―それは、愛ではない』(斉藤章佳/ブックマン社/2019)

『トラウマのことがわかる本―生きづらさを軽くするためにできること』(白川美也子/講談社/2019)

『ひれふせ、女たち―ミソジニーの論理』(ケイト・マン著/小川芳範訳/慶應義塾大学出版会/2019)

『日本が壊れる前に―「貧困」の現場から見えるネオリベの構造』(中村淳彦・藤井達夫/亜紀書房/2020)

『わたしは黙らない―性暴力をなくす30の視点』(合同出版/2021)

『美とミソジニー―美容行為の政治学』(慶應義塾大学出版会/2022)

『ポルノ被害の声を聞く―デジタル性暴力と#MeToo』(ぱっぷす/岩波書店/2022)

『わたしが先生の「ロリータ」だったころ―愛に見せかけた支配について』(アリソン・ウッド著/服部理佳訳/左右社/2022)

『男尊女卑依存症社会』(斉藤章佳/亜紀書房/2023)

『ブルーフィルムの哲学―「見てはいけない映画」を見る』(吉川孝/NHK出版/2023)

 


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