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自分の良心と向き合う~衆院選を迎えて、今一人ひとりがやるべきこと~


はじめに


この記事の目的は、一人でも多くの人に10月31日(日)の投票へと足を運んでもらうことにあります。とくに若い世代の人たちのことを意識して書いています。


政治のことに詳しくなくても、少なくとも


・質問をはぐらかして適当に誤魔化す政治家よりも、丁寧に答える政治家のほうがいい

・自分だけを例外にする政治家よりも、みんなと同じ基準に立つ政治家のほうがいい

・権力を私物化する政治家よりも、みんなのために使う政治家のほうがいい

・都合の悪いことを隠す政治家よりも、反省・改善しようと努める政治家のほうがいい

・国が戦争という暴力に加担したり、国民の権利を制限したりすることはあってはならない


と感じている人は、是非記事を最後まで読んでいただけたら嬉しいです。長い文章ですが、どうぞよろしくお願いいたします。


※なお、本当は“良心”といった言葉を持ち出すのは情緒に訴えているように見えてあんまり好きではないのですが、今回は敢えてこのタイトルにしています。




<目次>
1.ミスター・サタン
2.見て見ぬふりを続けた先を想像する
3.自分の良心と向き合えば、今動かなくていい理由は無いはず
4.政治はみんなが本当の意味で幸せになるための第一歩
5.補足~自民党について思うこと~





1.ミスター・サタン


今から約2ヵ月前、僕は自身のフェイスブックでこんな文章を書いた。


**********


『ドラゴンボール』最終巻、対魔人ブウ最終決戦で悟空は最後の望みとして元気玉でブウを倒そうとする。しかし「ちょっとずつ元気を分けてもらう」がデフォルトの元気玉ではブウを倒せるだけの気が集まらない。そこでベジータは地球人全員から目一杯の元気を分けてもらおうと、界王様を通して地球に語り掛ける。しかしベジータはあの通りの性格なので、言葉遣いや言い方が悪く「何様?」と総スカンを食ってしまう。


ブウに押され限界が近づいてきた悟空は、地球人の声を聴きながら、この切羽詰まった状況の伝わらなさにイライラして、ついつい「なんでみんなわかってくれねえんだよ!!地球も宇宙もどうなってもいいのか!?バッキャローーッ!!!」と叫んでしまう。そして遠くの出来事で状況が掴めていない地球人は「馬鹿とは何だ!」とカチンと来てしまう。つまり悟空もベジータも、地球人の理解を得るどころかトーンポリシングされてしまったのである。


みんなが振り向いてさえくれれば、聞く耳を持ってさえくれれば、現実を知ってさえくれれば、得られるはずの協力が、悲しいことに得られない。実はこの構図って、現実世界でも繰り返し起きてきたことではないだろうか。


最終的には、戦力的に明らかに力不足だけど、目の前で起きていることに対して「自分に何かできることをやらなければ」と立ち上がった「世界的スター」のミスター・サタンが地球人に語り掛けることによって、地球人は「なんだかよく分からないけど、あんたになら力を貸すよ」ということで、目一杯の元気を分けてくれる。(本当はそんな無批判な動機じゃダメなんだけど、この際それは置いておく。)そうして集まった大きな気によって、悟空は元気玉でブウを撃ち、世界(宇宙)を救ったのである。しかしそこには地球人みんなの力が必要不可欠だったのである。


何が言いたいかというと、衆院選に向けて、今私たち一人ひとりが、例え現時点では政治の知識に乏しくても、このミスター・サタン的役回りを引き受ける必要があるのではということである(ただしハッタリや扇動はよくない)。


(以下略)


**********



2.見て見ぬふりを続けた先を想像する


『ドラゴンボール』を読んだことがある人ならば、悟空やベジータやサタンのキャラをよくよく分かっていると思うので、例えとして「ちょっとズレてない?」と思われるところもあるかもしれない。作者の鳥山明も、このシーンが政治批判の文脈で使われるとは全く思っていなかっただろう。


しかし僕がここで言いたいのは、「あなたは悟空とベジータの叫びに地球人の多くが耳を傾けなかった結果、十分な元気玉が作れず宇宙が滅ぶ結末を想像したことがありますか?」ということである。そして何を隠そう、今までの選挙がこの危機的状況の繰り返しだったということだ。


ずっとずっと、今の自民党政権(自民党+公明党の連立政権=与党)に対して声を上げ続けてきた人たちはいた。政治を私物化した一部の政治家たちと官僚たちの手によって、国民に主権があるはずの政治が彼らにとって都合の良いものへと変わっていく中、この国の民主主義が崩壊してしまわないよう抗い続けてきた人たちはたくさんいるのである。


しかしそれ以上に、政治に無関心な「私たち」が多過ぎるあまり、今の日本の政治は誰が見てもかなりまずいという状況にまで来てしまった。政治とカネの問題や公文書の改竄をはじめとした、数々の不正を堂々と隠蔽しようとする組織体質。旧態依然とした価値観の中で、「多様性」とは名ばかりの人権意識の低さから来る数々の失言(ここに本音が出ているのだろうが、その本音を支持する人たちが多いのもまた事実であろう)。目に見えておかしいというのは大分危険な状況である。とくに今の政権(とくに安倍政権以降)の答弁の不誠実さは、おそらく小学生が見ても「人ってこれで許されるの?」と疑問を持つレベルのものだろう。


子どもたちに見せるのも恥ずかしいレベルの政治姿勢。果たしてそれを「人ってこんなものだよ」と割り切っていいのだろうか。「難しいことは考えなくていいよ」と子どもたちの疑問を無かったことにしていいのだろうか。もちろん、答えは否である。


にもかかわらず、私たち多くの国民は、「自分には関係ないから」といってその不誠実さを容認し続けた。数々の不正も、非道徳的な政治姿勢も、「自分も人のことは言えないから」「世の中そんなキレイごとばかりじゃないから」と見て見ぬふりをし続けた。ある時期までは、僕もその一人だった。今もそうなのかもしれない。


その結果、選挙が行われる度に、自民党は圧倒的な議席を取り続けた。


そして多くの人が平和ボケして政治に無関心でいる間に、今の政権は国民の命や生活を第一に考えるどころか、自分たちの利益を最優先に政治の私物化をさらに進め、国民の権利を抑制するような不穏な動きまで見せている。そしてその不穏な動きを、戦前の日本の軍部が戦争に突き進む過程と重ねる人も多い。


僕自身、6,7年前に、当時お世話になっていた映画関係者の方とメールでやりとりをしていた中で、「日本はファシズム化が進んでいます」と書かれてあったときに、「この人は一体何を言ってるんだ?」「この平和な日本でそんなことあるのか?」と思ってしまったのだが、事実、特定秘密保護法や安全保障関連法案の強行採決など、政権の姿勢に不信を抱かざるを得ない事例が続いている。そしてその切迫性が純粋に国や国民のことを考えてのことなのかというと、大いに疑問である。


中でももっとも注視しなければいけないのが憲法改正の議論である。この議論は長年憲法9条をめぐる戦争の放棄と自衛隊の存在の矛盾を中心に度々なされてきたが、2005年10月に自民党が発表した「新憲法草案」で「自衛軍を保持」と書かれたことから、改めて日本の軍国化への懸念が浮き彫りとなった。(この2005年の「新憲法草案」については原文のPDFが公開されていないため、当時の関連記事を参考にしている。)


その後自民党が一時期野党だった2012年4月に発表された「日本国憲法改正草案」では、「自衛軍」の表記が「国防軍」へと変わり、天皇が「日本国の元首」と位置付けられている。この表現は歴史を逆行するような流れと捉えられてもおかしくはない。


■日本国憲法改正草案(自民党憲法改正推進本部/2012年)


また、ここで新たに「緊急事態条項」が追加され、その内容があまりに慎重さを要することから、非常事態を利用した政権の私権制限や独裁体制につながる可能性も危惧されている。さらに現行憲法の「第十章 最高法規」の項目から基本的人権に関する部分が削除された(第十一条と重複するという理由による)ことや、その他さまざまな表現上の問題から、この改正案が憲法の中でももっとも大事な三原則である「基本的人権の尊重・国民主権・平和主義」を揺るがしかねないとして、専門家からもさまざまな指摘がなされた。


そして、自民党は2018年3月に下記のような改正案を発表し、自民党が変えたい4つの項目を示している。


■憲法改正に関する議論の状況について(自民党憲法改正推進本部/2018年)


これが公式には最後の改正案となるが、その後新型コロナウイルスの登場によって、緊急事態条項の必要性がより強調されることになったのは記憶に新しい。安倍政権は有効なコロナ対策が実行できないのは憲法のせいであるとして、コロナに便乗して世論を動かそうとしたのである。


しかしこれも憲法を改正しなくても対応できるという指摘が多くなされており、政権の本当の思惑への疑問が高まっている。さらに憲法改正の悲願がなかなか達成されないことから、憲法改正の「手続き」すらも変えようとしているわけで、国民はもはやうかうかしていられない状況である。最近では菅政権による2020年10月の日本学術会議の任命拒否問題など、政府に都合の悪い言論の統制はすでに起きており、民主主義が目に見えて侵害され始めているのだ。


誤解の無いように断っておくと、僕は憲法改正そのものを否定しているわけではない。時代の変化に応じて、確かにアップデートが必要なところはあるだろう。ただ、今は信用できない政権の動きは止めたほうがいい。国民が国家権力を縛るための憲法が、知らずのうちに自分たちを縛るものに変わっていたらどうだろうか。香港やミャンマーのようになってから気付いて人のせいにしても遅いのである。



※自民党の憲法改正草案について、さまざまな立場の人がその是非を論じていますが、分かりやすくまとめたものについて、以下のページが参考になると思います。(あくまでほんの一例です。)

■憲法「改正」問題 ― 自民党改憲草案の4つの問題点(公益社団法人自由人権協会)
http://jclu.org/constitution/issue/

■憲法改正の何が問題なの?(日本弁護士連合会)
https://www.nichibenren.or.jp/activity/human/constitution_issue/matter.html

■【改元特集】「改憲4項目」とはそもそも何か。その中身とポイントは〔再掲〕(幻冬舎plus)
https://www.gentosha.jp/article/11936/

■「改憲」はなんのために 緊急事態条項あったらコロナ対策は?(全国保険医団体連合会)
https://hodanren.doc-net.or.jp/news/unndou-news/210805_kaiken.html



3.自分の良心と向き合えば、今動かなくていい理由は無いはず


もちろん、安倍・菅政権のコロナ対応やオリンピックのゴタゴタによって、今まで政治に無関心だった国民の不信が高まったのは確かだろう。「今の政権はさすがに自分たちのことしか考えて無さ過ぎじゃないか」「こんな人たちに自分たちの生活を任せて良いのか」そう思った人はたくさんいるはずである。


しかしそんな社会の空気も、自民党新総裁の誕生と新総理大臣の誕生によって間違いなく変わった。菅政権のままならまた違ったのかもしれないが、時の首相を捨て駒に、メディアを駆使してその空気を変えてしまうのが自民党のすごさでもある。この国全体を巻き込んでの茶番劇を主催したのは、私欲にまみれた自民党の長老たちであることはみんな分かっていることだろう。国民は常に置き去りにされているのである。


実際のところ、岸田政権に変わってからも自民党の支持率が低迷しているとはいえ、今回の衆院選で、このまま無関心層がすべて忘れて「まあ、新しく変わったんだし、何とかしてくれるんじゃない?」と投票に行かなければ、再び自民党が圧勝する可能性は大いにある。そうすれば憲法の悪い意味での改正も進んでいくだろう。そうなると民主主義は、私たちの権利や生活はどうなるのか。その意味では、コロナとオリンピックを経た今回の衆院選はおそらく最大の分かれ目なのである。


ここで私たち一人ひとりにできることは何なのか―。例え現時点では政治の知識に乏しくても、自らの良心に従えば、今の自民党政権が明らかにおかしいことくらいは分かるはずである。そしてそれを変える「投票」という権利が私たちにはある。


しかしこれまでのように自分の一票を入れるだけではおそらく現状は変わらない。そして自民党政権=魔人ブウという構図はいささか安易だが、このような政治の荒廃に至らしめた要因がわたしたちの「凡庸な悪」にもあるのならば、やはり私たち自身がそれを自覚して動かない限り、ここまで巨大化した自民党政権を覆すことは不可能なのである。(ベジータ風に言えば、「たまには地球のやつらにも責任を取らせてやるんだ」くらいの気持ちでないと難しいのかもしれない。)


だから今私たちに必要とされるのは、誰にとっても疑いのない「人として真っ当な政治を取り戻す」を一番の手掛かりに、一人でも多くの人が政治的発信をして、あのミスター・サタンのように自身を介して人を投票というアクションに繋げることなのではないか―。


そんなことを考えながら、自分の映画活動でいっぱいいっぱいで何もできなかったとき、芸能人らによるこの動画が公開されて、僕はとてもいいことだと思った。



ただ、この動画はこれだけでは不十分なように僕は思う。これが作られなければならなかった背景への説明が弱いからである。


今の政権が信用に足るものであれば、おそらくこのような動画は生まれない。もちろん、長期的に見れば選挙による社会参加はとても大事なことであり、そうして国民が政治を監視し続けることは大切であるが、短期的に見たときに、この動画と合わせて投票する上での情報(あるいは資料)が無ければ、一番メディアや広告で目にする機会の多い自民党に自然に票を入れてしまう人が出てしまうのではないだろうか。それでは本末転倒である。(もちろん、本人が望んで決めたことならば尊重されるべきなのだが。)なので、この辺はシェアする人の使い方に委ねられているのだろう。


とはいえ、「政治的発言は下手すれば芸能人生命にかかわる」というのが暗黙の認識だった日本の芸能会の中で、第一線で活躍する人たちの間でこのような動画が作られたのは大きな前進だと思う。中には本当に今まで政治についてあんまり考えてこなかったんだろうなと思うような人もいるが、だからこそ広く繋いで行ける感覚というのもあるだろう。おそらくそれが大部分の若者のリアルだし、僕もそうだったのだから。


ちなみに政治に対して距離を置いている人の中には、「今見えているものの全貌が分からなければ、氷山の一角だけで物事を判断することはできない」とか、「繊細で複雑なことを単純化して短絡的に判断してはいけない」という考えの人もいるかもしれない。だから、この芸能人らの動画についても、「何も知らないくせに」と思ってしまうところもあるだろう。それ自体は現実と向き合う姿勢としてものすごく大事なことだと僕は思う。


ただ、そうした情報が乏しい中でも僕が常に大事にしたいのは、誰かの利益や都合よりも、誰も不条理を被らないかで自分の立ち位置を決めるということだ。「知らないから」と敬遠して他人事にして、自分を正当化して動かないでいたら、守れるはずのものも守れなくなってしまう。それでは権力者の思う壺であり、世の中の不条理も是正されることはない。世の中にはときに、あの人の背景はこうでああでとか、どうしてここにいるのかとかをゆっくり考える前に、今まさに崖から落ちそうになっているその人をまずは助けなくてはいけないという状況もあることを心に留めておきたい。


また、自分が間違ったことを言って人に迷惑をかけたり傷付けたりするのが心配だという人や、正しいことをしたつもりでも、あとになって自分の言動が間違いだと分かった場合、恥ずかしい思いをしたり自分の立場を損なうのではないかと心配する人もいるかもしれない。政治的発言をすることによって、周りの空気や人間関係を悪くするのは好まないという人もいるだろう。そうした場合は、無理せず自分の心の中で向き合い、自分一人が行動を起こすだけでもいいと思う。



4.政治はみんなが本当の意味で幸せになるための第一歩


いずれにしても、「政治とは無縁」「どうせ変わらない」と自分の無関心を正当化するのはもう恥ずかしい時代だということは、もっと若い世代の中で広がればいいなと思う。何故ならば、この世界には、人びとの無関心の結果、人権が蔑ろにされ、不条理や痛みや苦しみを被らなければならない人たちが必ず存在するからである。


それを考えたら、人の政治的発言を見て、「政治の話なんて聞きたくない」なんていうことは、本来は絶対に言えないはずなのである。「仕事が忙しくて政治のことを考えてる暇なんてない」といった類の言葉もそうだ。それが言えるのは、社会の構造的な問題がそうさせてしまった部分も大きいが、その人が今まで人権なんてものを意識せずにも生きてこられた証拠だろう。ある面では幸せとも言えるが、ある面では相当にまずいと思う。


もちろん、考える余裕がないくらい大変な状況というのは誰にでもあるだろう。また、「無関心もその人が選んだ政治的立場なんだから、その人の意志に任せるべきなんだ」という考えもあるかもしれない。しかしどんな状況であれ、政治を嫌悪して突き放すような姿勢は人として違うと僕は思うのだ。


時代はいつだって「自分さえよければほかはどうでもいい」というわけにはいかない。その思考停止のしわ寄せは、いずれ必ず自分のところにもやってきて、社会全体を不幸にする。搾取・格差・自己責任・不平等・差別・無理解。それらを法律や制度によって解決に努めるための第一歩が政治なのだ。そこでは一人ひとりの関わりを無くして、多様な幸福のあり方を保障することはできないのである。


以上のことを踏まえ、最後にもう一度繰り返すが、現在の、子どもたちに見せるのも恥ずかしいくらい非道徳的で全く見本にならない自民党政権を作り出しているのは、巨大になり過ぎて自浄作用を失った自民党という組織そのものと、一部の国民を除いて政治に無関心だった私たち自身である。だから、せめて子どもたちに見せられるくらいに真っ当な政治を取り戻すためには、まずはこの自民党の議席を減らさなければならない。全てはそれからである。


一旦偏ったパワーバランスをゼロに戻せば、立場や報酬目当ての中身のない政治家が減り、本当に「社会をより良くしたい」というやる気のある政治家が伸びてくるはずである。それは自民党内部でもそうだろう。だから僕はまず、構造的にがんじがらめになってしまった今の政治を、そのフラットな地平に持っていくことが最重要と考える。決して悪を倒して終わりという単純なことを望んでいるわけではないのである。


「それならばせっかく強い組織力を持った自民党に内部から変わってもらうのが一番いいのでは」という考えもあるだろう。しかし今回の総裁選での長老たちの思惑やしがらみを見て分かった通り、それは全くもって期待してはいけない。


そして「野党は頼りない」といった意見もあるかもしれないが、今回、立憲民主党・共産党・社民党・れいわ新選組の野党4党がはじめて共闘して、全国289ある小選挙区のうち217の小選挙区で統一候補を打ち立てた。このことは政権交代後の政治への期待値を上げるという点でも非常に大きい。


だからここからは具体的な提案になるが、まずはどこに票を入れればいいのか分からないという人は、是非野党共闘の立憲民主党・共産党・社民党・れいわ新選組のいずれかに入れるといいと思う。(小選挙区では立候補者個人を選び、比例代表では政党を選ぶ。)これらの党は基本的に国民全般に寄り添った政策を掲げており、社会的弱者やマイノリティといった立場に当たる人たちのことを意識した活動もしているので、人道的にも問題ないのではと思う。


ちなみに各党の人権政策については、国際人権NGOヒューマンライツ・ナウがまとめたこちらのアンケートが分かりやすい。


■【人権政策に関する政党アンケート2021】各政党の結果を公開


これを見ると、自民党の人権意識が大分低いことが歴然としている。このことは国際的にも批判されており、今後もさまざまな弊害をもたらすだろう。


また、各党が掲げる公約の一覧についてはこちらが分かりやすい


■衆院選2021の各党公約を一覧で比較!政策・マニフェストから投票先を選ぼう|第49回衆議院選挙 政党公約比較表


野党では憲法を非軍事憲法のまま発展的に改正しようとしている国民民主党もいいだろう。しかし維新の会は気を付けたほうがいい。維新の会は野党と与党の間に位置する「ゆ党」とも言われているが、勢力拡大のための立ち回りやイメージ戦略が上手く、改憲派であることからもその動きは注視したほうがいい。いずれは自民党と癒着する可能性がある。


また、公明党も連立政権(与党)として自民党の補完勢力になっている限りは外したほうがいい。NHK党に関してはなかなかいろいろ問題があると思うので、個人的には考えられない。(いずれも知識不足を前提とした上での個人の見解です。)


本来であれば、個々にがんばっている政治家をざっくりと「自民党」や「〇〇党」と一括りにして振るい落とそうとするのも思考停止の一つだろう。しかし今回の衆院選の喫緊の課題として、まずは「すべてがおしまい」という状況を防がなければならない。そして今までの負の遺産をゼロにする。政治のことはそれから勉強しても遅くはない。


どんな結果になったとしても、衆院選後もちゃんと関心を持ち続けて、ちゃんと勉強を続けて、いずれは自分の好きな政党や政治家に票を入れる。そうして国民みんなで政権を監視し、自分たちの政治を守っていくしかない。例えそれが絵に描いた理想だとしても、政治は理想を曲げてはいけないのである。社会が後退することなく、誰も置き去りにすることなく、ともに前に進んでいけるように。


政権交代した暁には、〇〇党とか関係なく、互いに切磋琢磨しながら社会をより良くしていってほしいと切に願う。



5.補足~自民党について思うこと~


※ここからは丁寧語に変わります。


これまでさんざん自民党さんを批判してきましたが、最後に一つだけ補足させていただきますと、僕はどこか一つの政党に固執しているわけでは全くありません。そのとき望ましい社会を実現してくれそうな政党を応援するだけです。今の自民党政権がちゃんと信頼できる政権ならば、別にこんなことは書かないのです。


そこで、僕が自民党政権を支持しない理由について、改めて自分なりにまとめておきます。まだまだ勉強不足のため、理解が足りないところも多々あるかと思いますが、もっと勉強して自分の考えを更新していきたいと思っています。



<自民党政権を支持しない理由>

【➀非道徳的政治姿勢】
都合の悪いことは一切無視の非対話型の振る舞い。国民の生活よりも自分たちの立場や利益を優先。国民には求めるけど自分たちは例外のダブルスタンダード。失言の中身を嚙み砕いていない形だけの反省。未来を担う子どもたちの教育に悪影響をもたらすとしか考えられない、見せるのも恥ずかしいとしか言いようがない、公人としてあるまじき政治姿勢。

【➁犯罪的・非人道的政治姿勢】
➀よりさらにひどい、公文書改竄の強要による財務省職員の致死(森友改竄問題)、公職選挙法・政治資金規正法違反疑惑(桜を見る会)などの問題。「ナチスの手口に学べば」(2013年麻生氏発言)など危険思想を容認する言論。沖縄基地問題などの民間人に対する不条理の強要。その他、本来人道的に罷り通ってはいけないはずのことを公然と行う政治姿勢。

【➂組織の自浄機能不全による政治家の劣化】
上記のようなことを内部批判するどころか放置・隠蔽しようとする組織体質。より上位の立場にいる人間にとって都合の良い、従順なイエスマンが増殖する組織体質。(官僚の問題もある。)そこに起因する政治家の品位、能力、見識の欠陥と、建前ばかりで中身の伴わない政策。

【➃利権まみれの公共事業】
一部の関係者にだけお金が回るような政策。コロナ禍で医療も世論も混沌とした中、多くの反対を押し切ってのオリンピック強行。

【➄新自由主義的政策による弊害】
新自由主義の偏った側面である効率と生産性と利益の追求(今さえよければ、自分たちさえよければ)がもたらす搾取、格差、貧困の促進。また人権問題と自己責任論の拡大。原発事故の被災者と放射性廃棄物の処理問題を置き去りにしたままの原発再稼働。

【➅人権意識・公助意識の低さ】
前述のヒューマンライツ・ナウのアンケート結果でも分かるような遅れた人権理解。ご存じの通りのコロナ対策の後手後手。自粛要請、補償無し(補償について現状は把握しきれていないのですが)。国民への自助任せ。さらなる自己責任論の拡大。

【➆歴史修正主義的態度】
歴史的事実や太平洋戦争における自国の加害(「慰安婦」問題など)を直視せず、逆に都合良く解釈し、絶対にあってはならないはずの戦争を美化したり肯定しようとする歴史修正主義的態度。

【➇歪んだナショナリズムの発露】
大きな情緒的な言葉で自国の素晴らしさを説き、国への同化や隣国へのヘイトを煽る歪んだナショナリズム。国を批判する人は敵もしくは非国民という攻撃的な態度。差別の助長。

【➈独裁化と軍事化の危険性】
民主主義の危機。メディアや教科書出版社や学術会議や芸術分野に対する事実上の圧力(言論統制や表現規制)。憲法の拡大解釈による集団的自衛権行使容認を柱とした安全保障関連法案を強行採決。武器の輸出と輸入。憲法改正により戦争ができる国作りを目論む。


上記のものの中には、もしかしたら「誰がやっても同じ」ということもあるかもしれません。また「やってるほうは大変なんだ」「そういうお前は人のことを批判できるほど立派なのか」という意見もあるかもしれません。それもごもっともだと思います。完璧な人間などいないし、人間関係や利害関係の調整は複雑で、誰しもが自分の間違いから目を逸らす弱さを持っているからです。


しかし、だからといってそのこと(ある意味真理)を肯定し続け、現に起こり続けている現政権の行いを、不条理を容認していい理由にはなりません。とくに政治家は私人ではなく公人であり、国民から選ばれた代表として、憲法に掲げられた理想を実現するために公務を執行する責務があります。今の政権はその責務を十分に果たしているとは言えないと考えます。


一応誤解の無いように断っておくと、僕は決して自民党さんを全否定しているわけではありません。 実際、自民党さんには僕も過去に映画のことでお世話になったことがありますし、その組織力があるからこその強みというのはたくさんあると思うのです。市民にとっても、持ちつ持たれつの関係の中で頼りにしている部分もたくさんあると思いますし、歴史的にも、こうした党のありようが単純でないということは、決して想像できないわけではないのです。何より、僕が知らないだけで一生懸命活動している人はたくさんいるでしょうし、人間的に素晴らしい人もたくさんいると思うのです。(別に何かに忖度しているわけではない。)


しかし、どんなに希望的観測を持とうとしても、自分の無知に原因があったとしても、自分の中では今の政権はもはや信用できないのです。チャンスが限られているのなら、それは野党に与えたほうがいい。「自民党を変え、政治を変える」(河野太郎氏)とか、「国民の納得感ある説明をする」(岸田文雄氏)とかは、それはそれで大事なことなので是非とも進めていただいて、今はやはり政権交代を進めたほうが良いのではと思います。


もちろん、人や政党がこれまでの政策の中身や政治的姿勢を反省し、よりよく発展しようとすること自体を否定するつもりは全くありませんし、その部分においては支持します。その意味では自民党さんの今後の発展も同じように願っています。

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