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  • 執筆者の写真Kazuki AGATSUMA

人と人が支え合うこと~映画『千古里の空とマドレーヌ』に寄せて~

震災から10年目を迎える2021年3月11日、僕の南三陸を舞台とした最新作『千古里の空とマドレーヌ』(2021年/112分)が東京で初上映された。


■『千古里の空とマドレーヌ』


上映してくれたのは東京で被災地支援を続けてきたボランティア団体「防災ボランティア灯りの会」。当会は2016年3月11日から、豊島区との共催で「東北支援チャリティ上映会」という被災地に関するドキュメンタリー映画の上映会を始め、第1回で『波伝谷に生きる人びと』を上映していただき、2017年の第2回で『願いと揺らぎ』を上映していただいた。


それ以来、お世話になっているこの会で、被災地における「ボランティア」や「支援/被支援」をテーマとした『千古里の空とマドレーヌ』を上映していただくのが僕の長年の目標であり、何年も完成を見送りながら、震災10年の今年、ようやくその目標を実現することになった。


映画は1日に2回上映し、コロナ禍で人数制限をするなど感染対策に努めながら、計200人超の観客に観ていただくことができた。そして来場者に主人公のマドレーヌも配布し、遠く離れた南三陸町と地続きの時間を感じていただくことができた。



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『千古里の空とマドレーヌ』は、僕が震災前から撮り続けていた宮城県本吉郡南三陸町戸倉地区波伝谷(はでんや)で、1軒だけ津波を逃れたペンションを舞台に、被災からのお菓子作りを再開するパティシエと、そこにつながるボランティアたちの姿を描いた映画である。


ここに登場するご家族は、僕が震災前から波伝谷で撮影する際にお世話になっていたペンションのご家族である。僕にとっては親戚以上のお付き合いをさせていただいている、とても大切な人たちである。


そしてパティシエの長嶋涼太さんは、僕がペンションに泊まる度に、波伝谷での撮影の悩みを聞いてくれた友人であり、恩人でもある。映画の中で涼太さんが、「被災した後、お菓子作りの悩みを相談できる人が周りに誰もいない中で、話を聞いて背中を押してくれたのがボランティアだった」と語る場面があるが、僕にとって、震災前の涼太さんはまさにそのような存在だった。


『千古里の空とマドレーヌ』は、まだいろいろなことが混沌としていた2011年12月~2012年4月にかけての5ヵ月間がメインのストーリーとなっており、時期的には『願いと揺らぎ』と全く同時期に同時並行で撮影されている。(ちなみにこの頃はご家族の仮設住宅でご飯もお風呂も寝るところもお世話になり、たまに愛車ミラに車中泊して撮影をしていた。)


ただし波伝谷の一連の作品からは完全に独立した作品となっており、元々そこにあった地域コミュニティの再生を描いた『願いと揺らぎ』とは対照的に、現地に生きる人たちと外から支援に入ってきた人たちが、すれ違いを重ねながらもお互いに納得し、ともに前に進む関係を築いていく姿が描かれている。


この映画では、主人公のパティシエ・涼太さんの被災者としての苦悩もさることながら、ボランティア側の葛藤も描いている。


一口にボランティアと言っても、そこにはいろいろな人がいて、その動機も人によってさまざまである。震災が強いインパクトを持つ出来事だっただけに、中には「助けたい」とか「支えたい」といった衝動のままに動いてしまう人もいれば、相手のことを本当には分かろうとしていないためか、自分の思いが優先されて、相手が望む望まないとにかかわらず、自分がやりたい支援を押し付けてしまう人もいた。また、ときに「弱く可哀そうな人」という思い込みや誤った理解のもとに被災者と関わる人もいれば、人としての関わりを大切にし、自分は本当に相手のために動けているのか、悩み、自問自答する人もいた。


こうした他者と関わる上での難しさは、被災地に限らず、日常的にあらゆる人との関係性の中で起こり得ることではあるが、いずれにしても、この震災で多くの人が「誰かのために動きたい」と思ったのは間違いなく、その一つ一つは例え微力であったとしても、確実に町の復興を後押しする力になったのは間違いない。


一方の被災者の側も、震災を機に不意に当てはめられてしまった「支えられるべき人」という構図の中で、支援を受ける立場としての複雑な思いがあり、言いたくても言えずに我慢していることがたくさんある。一般的に、ボランティアが無償の自発的な“善意”であるがゆえに、被災者の中には、その善意がどんな形であっても、決して疑うことなく、受け止め、感謝し、相手を満足させなければならないという無言の圧力に疲れ果ててしまう人もいた。その中でも、涼太さんのように自分の中でしっかりとした言葉を持って、支援者との納得のいく関係を築き、何が必要で何が必要でないのかをしっかりと伝え、自らの意思で選択し、強い覚悟で支援を受け止めていく人もいた。


このように、「被災者」も「ボランティア」も、それがその人のすべてを表すものではなく、あくまでたくさんある属性の中の一つに過ぎない。誰しもが、かけがえのない自分自身の人生を生きている一人の人間である。そんな異なる背景を持つ人同士が、震災をきっかけに出会うわけだから、そこではお互いにどう関わればよいのか、相手の痛みにどう触れてよいのか、人として何を返すべきなのか、戸惑うこともたくさんあっただろう。そして出会いのタイミングが悪く、上手く行かなくなってしまった関係もあれば、関わり方を見失い、行き詰まってしまった関係もたくさんあったと思う。


その中でも、相手を大切に思い、一緒にいたいと思うからこそ、お互いに思いを伝え合って、人と人としての関係を結び直し、ともに前に進んでいく関係を築く人たちもいれば、離れていても、遠くの親戚のように、どこか常に隣にいるような関係に、自然と落ち着く人たちもいた。


その過程では、決して被災者が支えられるばかりではなく、ボランティアがその関わりから学び、自身の存在意義や生きがいを感じ、支えられる面も大きかったのではと思う。そしてきれいごとだけでなく、不純なものも含めた出会いと交流の積み重ねが、今の町の復興を支えてきたのではないかと思う。震災から1年後を主な舞台とした本作には、その萌芽が映っている。


このような出会いと交流が、震災をきっかけに、被災地のいたるところで生まれたはずだ。


もちろん、震災がなければという思いをずっと抱え続けている人もたくさんいる。大切な人を失った人などは、未だにあの日から時間が止まったままの人もいて、震災にまつわるあらゆるものに触れることに苦痛を伴う人もいるだろう。


一方で、僕のお世話になったある波伝谷の人が言っていた。「あのとき、ボランティアたちとの交流が本当に励みになった」「震災で失ったものも多いけど、得たものも多い」と。


あれから10年、あのときの芽はどんな花を咲かせたのか。映画のラストでたくさんの人の想いを背負って立つ涼太さんの姿を観てほしい。そして震災から10年という時間の中にあった、たくさんの人の人生に思いを馳せてほしい。


これから、この映画をたくさんの人に届けられるように、僕もがんばりたいと思う。



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