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執筆者の写真Kazuki AGATSUMA

紀元前の“願いと揺らぎ”

実は、以前『願いと揺らぎ』(2017年/147分)を見てくださったというキリスト教の方からこのようなメールをいただいた。


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『願いと揺らぎ』を観ていて私は、「世界のほんの片隅の少数の人々の、世界から見たら小さな出来事の大きな物語だ」と感じていました。そして「聖書の言葉が生まれていく過程を見ているようだ」と感じていました。聖書の創世記の天地創造物語、あれは民族の大きな喪失体験が背景にあるそうです。

国が滅亡して敵国に強制移住させられた古代イスラエルの人々が、自分たちが自分たちであるために土地を離れても信仰を捨てずにいて、瓦礫になったエルサレムに帰ってきた時に破壊された神殿を再建していこうとする、その過程で生まれていった物語だそうです。その過程で世界を見つめ直し問いかけ続けて受け止め直していった、古代イスラエルにとっての「復興」が背景にある物語です。

波伝谷の人にとってもお獅子さまは信仰でしょう。自分たちが自分たちであるためにお獅子さまは必要なもので、だから本気で取り戻したい。当たり前にあったものを失って、皆本気で問いかけて見つめ直したと思う。

(中略)

私には本当に、古代イスラエルの姿が生き生きと波伝谷の人達に重ね合わさるような感覚でした。まさか監督の映画が聖書とリンクするとは思わず、私はそこに感動しました。

聖書は何千年前とはいえ、実在した名もない人達が実体験(それこそ営み)を基に信仰の言葉として語ったものです。古代の人は語り継ぐことでしか残せなかったけど、現代人は映像に声も姿も風景も残せます。でもただ映ってるだけでは私はこんなふうには感じ取れなかった。監督が波伝谷に本気で入り込んで、生身の人間達が醸し出す空気や息遣いを真正面から映したから、私はそう感じることができたのだと思います。


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『願いと揺らぎ』は、震災前の南三陸を舞台にしたドキュメンタリー映画『波伝谷に生きる人びと』の続編であり、主に震災から1年後の2012年1月から4月までのたった3ヵ月間の出来事を描いている。


■『願いと揺らぎ』


この映画の中で、震災後の時間はモノクロで描かれ、震災前の時間が鮮やかな色彩をまとったカラーで描かれる。普通であれば、時間軸的に新しいほうがカラーで、昔のほうがモノクロのようにも思えるが、『願いと揺らぎ』ではそれが反転している。


何故そうしたか。そこには当時の波伝谷の人たちを見ていて感じた僕自身の気持ちが投影されている。


話は震災へと飛ぶが、実は震災後の3月14日、僕は波伝谷の人たちに「またすぐ戻ってきます」と言い残して現地を出てきたものの、自宅に戻ってからはすっかり心境が変わり、戻ることができなかった。この非常時に、自分は何者としてそこに戻ればいいのか、人として向き合う勇気も記録者として撮影する覚悟も無く、お世話になった人たちとの関係も自分の存在意義もすっかり見失い、この現実から逃げてしまったと言ってよい。


その間、南三陸町は町の8割が被災したとのことで、メディアにも大々的に取り上げられ、ある意味被災地のメッカのように全国的に有名になり、たくさんの人が支援やボランティアに駆け付けることになった。


この大事なときに、それまで6年間、そこに生きる人びとの営みを見続けてきた自分は、何もすることができなかった。その間、自分の時間を止めて、「一刻も早く『波伝谷に生きる人びと』を完成させよう、それが全て失ってしまった波伝谷の人たちに対して自分ができる一番の恩返しだ」と思い、それまで続けていた編集に打ち込もうとするものの、映画は一向に完成する気配が無い。そのうち、「震災前の映像などもはや誰にも求められてはいないのではないか」という気持ちになり、その気持ちは焦りを通り越して、「もう二度と波伝谷に戻ることができないのではないか」という恐怖に変わっていった。


そしてこれ以上は無理だと思った僕は、映画の予告映像(8分45秒)に当時の自分の思いをすべて託し、さらに震災前の風景写真のスライドショーを持って7月頭に波伝谷に戻ることになる。そして避難所に残っていた波伝谷の人たちの前でそれを上映し、上映したあと、泣きながら「必ず完成させますからもう少しだけ待っててください」と挨拶した。そして今の自分にできることはやはり撮ることしかないと思い、それから避難所が閉鎖するまでの2ヵ月間、そこに残る波伝谷の人たちと、避難所で寝食をともにしながら波伝谷の人たちの心の励みになっていたボランティアたちの様子を記録することになった。(この頃撮影していたものは、もはや映画として形になることは無いと思っているのだが、いつか何かの形で断片的にでも発表することができないかと思っている。)


こうした『波伝谷に生きる人びと』と『願いと揺らぎ』の間にある空白の期間の出来事については、いずれ何かの機会にちゃんと紹介したいのだが、いずれにしても、自分の中でさまざまな思いを抱えながらも、こうして波伝谷での撮影を再開することができたのである。しかし震災後の状況は、震災前の状況とは一変して全く別の問題に溢れており、僕もどこをどう掘り下げて良いのか全く分からず、すぐに行き詰ってしまった。そして「結局何も撮ることができなかった」という思いを残したまま避難所が閉鎖し、波伝谷の人たちもバラバラになってしまう。


それからしばらくは表面的に大きな動きも無く、僕も『波伝谷に生きる人びと』の編集を再開し、2011年12月に第1回目の途中経過版試写会(6時間バージョン)を行ったのだが、年が明けて2012年になると、ある波伝谷の人から「若い人たちがお獅子さまを復活させようと動き出したらしい」という話を聞くことになる。そしてその話を聞いたとき、僕の中で震災前の波伝谷の時間と震災後の今がつながるような感覚を覚えた。


あの時期は仮設住宅に落ち着いてからある程度時間が経ち、震災から1年が経とうとしている中で、波伝谷の人たちにとっては亡くなった人や震災前の時間に思いを馳せるような時期だったと思う。震災が無ければ当たり前の日常が続いていたはずなのに、現実に生きているのは、今自分がどこに立っているのか、どこに向かっていけばよいのかさえも分からない、整理が付かない曖昧な時間。その中で、3月を目前に控え、かつての自分たちの姿を象徴するお獅子さまのことが思い出されたのはとても自然なことだったのではと思う。


あの当時、被災地のいたるところで地域の伝統行事復活のニュースが報じられたが、コミュニティが分断され、日々の生活もままならず、インフラも何も整わない中で、何故一番最初にそれが求められたのか。そこには波伝谷の人たちと同じように、地域で大切にされてきた行事を復活させることによって、自分たちの地域の結び付きや本来の姿を取り戻したいという切なる思いがあったのではと思う。同時に、これからさまざまな政策に翻弄されていく中で、まずそれをしなければ、この土地で生きていくという決意を持つことも前に進むこともできないという怖れもあったのではないだろうか。


だからこそ、「お獅子さまを復活させたい」という波伝谷の人たちの願いには僕も勇気付けられた。そして震災後に何を見つめていけばいいのか分からなくなっていた僕は、まずは波伝谷の人たちにとって大切な、僕にとっても大切なお獅子さま復活の過程をしっかり撮ろうと決意する。そしてその際、これまでのように中途半端な気持ちで撮影していてはみんなが前に進んでいく上で邪魔者にしかならないから、「嫌われてもいい。否定されてもいい。とにかく自分はしっかりこの人たちの姿を撮って世の中に伝えるんだ。」そんな気持ちを新たに撮影を開始することになったのである。


こうして始まった撮影は、当初の思惑を超えて伝統行事復活の陰にある地域の混乱と葛藤を真正面から記録することになり、2012年4月15日の行事復活をもって一旦終えることになる。しかし本当であればそのときに形にして世の中に伝えるはずだったのが、『波伝谷に生きる人びと』の編集にまた戻り(その後波伝谷で第2回途中経過版試写会、第3回途中経過版試写会を開き、2014年1月に晴れて南三陸町全体で完成披露上映会を開くことになる)、完成したら完成したで一人でも多くの人に観てほしいということで上映活動に奔走し、長いこと編集がほったらかしになってしまう。


そして『波伝谷に生きる人びと』の上映が落ち着き、あることがきっかけとなって2016年10月以降ようやく本腰を入れて編集することになり、最後に当時ぶつかり切れなかった主人公にもう一度撮影をお願いして、そこで出てきた言葉で当時の地域の混乱と葛藤を振り返ることによって、映画は5年弱の月日を越えて2017年3月に完成することになった。しかしこの過ぎ去った時間が、この映画が生まれ落ちる上では必要な時間だったのだということを、主人公のインタビューを撮りながら確信したのを覚えている。


というのは、あの当時の混乱の中で、現地で生きている人びとにとっては、一つ一つの判断が正しいかどうかなど誰にも決められなかったはずだからだ。


それが、長い先行きの見えない仮設住宅の時期を過ぎて、ようやく地域として高台に移転し、新しく家を建てることができた。家を建てるということは、震災でいろいろなことがありながらも、すべて受け止めて再びこの土地で生きていくことを決心するということである。そしてそれこそが地域の人たちにとって本当の意味での復興のスタート地点であり、そうした地点に立ってはじめて、これまで自分たちが歩んできた道のりを冷静に振り返り、それがどういう時間だったか少しずつ意味を持たせられるようになっていったのではないか。


そういう意味で、映画のラストの現在はモノクロからカラーに戻している。そこには、震災後のある時期に確かにあったはずの風景や人の思いもまた、もう二度と戻らない時間であるという意味も込められている。


こうして『願いと揺らぎ』は、長い時間の厚みの中で被災当事者の思いの移り変わりが描けたことによって、被災地の多くが何に揺れ、何を願ったのか、その苦難の道のりを12年に亘る撮影素材を通して振り返ることになった。


そこに描かれているものは、合理的で分かりやすく、派手なものが求められがちな現代においては、地味で分かりづらく映るかもしれないが、今自分たちが生きているこの時代について、あるいは身近な人とのつながりについて、足元から見つめ直すような大切なものをたくさん詰め込んで作ったつもりである。そしてそれは、災害がもはや日常となりつつある今だからこそ、次世代への遺産として、未来に向けた記憶として、一切の妥協も一点の迷いもなく、魂を注いで作ったつもりである。


だからこそ、冒頭のメールを読んで、それが未来だけではなく、大昔の、しかも紀元前の出来事にもつながるものなのだと知ったときには、とても嬉しかった。この人にはしっかり伝わったと思うと同時に、12年かけた自分の波伝谷での仕事が報われた気がした。


前置きが長くなってしまったが(ほとんど前置きで終わるが)、何が言いたかったかと言うと、このような喜びを感じる瞬間があるから、映画製作が苦しくても何とか続けていこうと思える。ほかの誰でもなく、自分にしかできない表現があることを信じて、自分の役割があることを信じて、これからもがんばろうと思える。


人が生きている限り、人の営みは続いていく。



※なお、『願いと揺らぎ』の完成を記念して、2017年8月にせんだいメディアテークで「波伝谷サーガ ある営みの記録」という上映会を開催しました。この中で行ったトークイベント「被災地の“願いと揺らぎ”を考える」では、波伝谷の方々にご出演いただいて、当時の地域の混乱と葛藤を振り返りながら、これまでの復興の歩みや現在の地域のあり方についてお話しいただきました。このトークは『願いと揺らぎ』のパンフレットに採録されておりますので、是非公式サイトの販売ページからお求めいただければ幸いです。




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