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執筆者の写真Kazuki AGATSUMA

思索の庭

僕は32を過ぎるまで宮城の実家で過ごした。実家は農家で、東京に出てきた今となっては随分環境に恵まれていたんだなと思うほど敷地が広く、私道を含めると車10台は余裕で停められるほどの平らなスペースがある。


僕は小学校から高校にかけて、その広い庭で自転車に乗りながら空想に耽るのが一番好きな時間だった。2時間くらいは余裕である。その軌道は決まっていて、一日に何十週、何百週しながら頭の中はここではないどこかに飛んで行き、ドラゴンに乗って果てしない空に抱かれる夢や宇宙戦争に巻き込まれた何も知らない少年少女の物語や非日常の異境の風景を旅する自分自身の姿を思い描いた。


この自転車で家の庭を周遊するという行為は、大学に入ってからも文章を書くときなど何か集中したいときにたまに続けていたが、周りから丸見えなこともあり、大きくなるにつれてその機会は減少していった。同時に、かつてのような壮大なファンタジーを思い描くことも少なくなり、思考することも段々と現実路線になっていった気がする。


とはいえ、今でもあの頃に思い描いていたファンタジーの一端を具現化したいという欲求に駆られることがある。そして画的にも雰囲気的にも何とも表現しづらいその夢の中のような世界観(ちなみに僕は昔から夢の中で展開される不思議な世界観に浸るのが好きで、毎日夢を見るのが楽しみである)をどうやったら具現化できるんだろうと思うと同時に、おそらく一生無理なんだろうなという諦めを持ちながら、自分にできる表現を地道に続けていこうとしている。


そんな僕は、現在日本一の高密度都市と言われている東京のある街の一角に住んでいる。家と家の間にほぼ隙間は無く、最近お隣さんが家を建て替えたことでようやく自分の部屋の窓にも少し陽の光が入るようになった。


僕は都心に近い割に穏やかで住みやすく見知った顔も多いこの街が気に入っている。ただ東京にいると、実家の周りの田園風景やそこから見える山々の輪郭が懐かしくなるときがある。また庭の石畳や固い土や畑の草を踏みしめるあの感触が恋しくなるときがある。そして今の環境では、考えごとをするときなど、基本的にパソコンの前の座椅子にじっと座っているのが主で、あんまり外をぶらぶらするということがない。(もちろん、毎日外には出るし、自転車もあるので近所をうろうろ走り回ることはできるのだが、人や車や他の自転車にぶつかりそうになるので何かに集中するのは難しい。)


なので、現実空間とは別なところに架空の庭を作って、たまにそこで自転車に乗りながらぼんやり何かを考えて過ごそうかと思う。昔のようなファンタジーはあまり思い描けないかもしれないけど、映画を作りながら考えたこととか、人や社会について思うこととか、心に残った出来事とか、じっくり言葉にしたいと思ったときにはこの庭に来てみよう。基本的に、日々の生活や制作で忙しくて、あんまり来ることもないかもしれないけど、たまには花や草木の手入れも兼ねて。


そうしているうちに、ちょっとずつ豊かになって(あるいは荒れ放題になって?)、見える景色も少しずつ変わっていくかもしれない。


そんなわけで、自分のブログの開設です。



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