「憲法実現!彼女たちのプロテストソング&コール」レポート

更新日:2 日前
9月23日(水・祝)に、僕が5月以降デモに通って制作した3つの映像を活用して、「憲法実現!彼女たちのプロテストソング&コール~我妻和樹さんが撮った声を上げる女性たちからのメッセージ~」という映像鑑賞+対話の会を開いていただきました。

■イベント詳細ページ
<鑑賞映像>
■公園でchill 『憲法実現』ステージ映像(5分)
■憲法大集会2026に参加して~公園でchill・石川優実さんインタビュー~(11分)
■誰もが幸せになるために~ババカヲルコ・平和へのコール~(35分)
企画してくださったのは、長年交流のある、現仙台市議会議員のいのまた由美さん。
いのまたさんが、社会のこと、暮らしのこと、議会や自治のことを、ゲストや参加者と一緒に考え、語り合うための対話の場として始めた「ゆいリング」の第1回として企画していただき、主催者を含め20人弱の方が参加し、大学生2名、高校生1名の参加もあり、とても有意義な意見交換の機会になりました。

流れとしては、最初にいのまたさんから会の主旨やルールをお話しいただいた上で、僕のほうから、今の政治への危機感からデモに通って映像を撮り始めた経緯を説明。
そして毎年5月3日に有明防災公園で行われている憲法大集会のスローガンを紹介した上で、1本目に公園でchillさんの『憲法実現』ステージ映像(5分)を上映させていただきました。
その後2本目には、公園でchillのメンバーで性暴力のサバイバーでもある石川優実さんの視点で憲法大集会の一日を記録したインタビュー動画(11分)を上映。
上映後には、元々ノンポリだった自分が政治や社会問題に関心を持つようになった経緯、あるときから腐敗が進んだ自民党政治を批判するようになった経緯、また僕自身も無自覚だった女性差別について近年学び、Xで声を上げる女性たちの姿に大きな影響を受けて性暴力・性搾取やそれらを肯定するコンテンツの問題を男性側の問題として変えようと発信するようになった経緯、そして今のデモにおける女性の声や役割に着目して、公園でchillさんを撮影させていただくことになった経緯についてお話しさせていただきました。
(※今の政治への危機感からデモに通い始めた経緯や公園でchillさんを撮影させていただくことになった経緯については前回のブログをご参照ください。)
その上で、最後にペンライトデモを扱ったドキュメンタリー『誰もが幸せになるために~ババカヲルコ・平和へのコール~』(35分)を上映し、制作の経緯と作品に込めた思いをお話しし、意見交換に移りました。

意見交換では、あるシニア世代の方から、自分が学生運動をしていた頃の国会前デモを思い出して、「それに負けない迫力があった」という感想をいただき、またある高校生からは、「正直、高校生のほとんどは(政治や憲法について)毛ほども考えていない。多数の意見に従ったほうが楽という考えの人が多く見受けられる中で、現在の体制に対して批判的であること、こうして声を上げて行動することそのものに価値があると思う。自分もできたら実際に行動したいし、石川さんやババさんはなかなかできないことをやっている」(要約)といった感想をいただいたりしました。
また、別のシニア世代の方からは、「昔は憲法を守れとか平和を守れとか当たり前のことだったのに、それが言えなくなっているどころか叩かれてしまう今の時代は本当に異様で恐ろしい」(要約)といった声や、劇中にあった【憲法9条は人類の知性】というプラカードを指して、「それが守れない今の高市政権は知性がないんだと思わないとあまりに酷くて心を保てない。テレビで高市さんを見たくない」(要約)といった声をいただきました。「高市さんを見たくない」ということは作中でババさんも言っていましたが、感じている思いはみんな同じなんだなと思いました。
一方で、いくつか立場の異なる意見も出ました。例えば、ある大学生の方からは、「憲法守れの優先度が完全に下がっている印象を受ける。沖縄の選挙が日本の選挙の縮図だと考えている。コロナやウクライナ危機以降の世界の状況を見て、9条よりも物価高や安全保障のほうが優先度が高まった結果、左派的な主張があまり相手にされなくなったのではないか。護憲派はこれからどんどん斜陽化していくと思う。それよりも社会保障の負担を何とかしてほしい。防衛増税はある程度許容できるけど、社会保障で思いっきり手取りが下がるのは困る。」(要約)といった意見も出ました。
また先ほどの高校生からも、運動への疑問点として、「作中で、【改憲派議員全員やめろ】みたいな旗が一瞬見えたが、憲法を守る王道を行くからこそ、逆に他の人たちの言論を潰してしまう面もあって、それは避けたほうが良いのでは」(要約)といった意見も出ました。
こうした意見に対して、自分も昔は人権や尊厳を守るために正当な声を上げる人のことを「複雑な物事を単純化するな」と冷ややかに見ていたことを明かした上で、いくつか持論を述べました。
例えば、防衛に多額の予算をつぎ込めば福祉・医療などの社会保障にもお金が回らなくなること。さまざまな困難を抱える人と出会って価値観が変わり、そこから平和・人権・尊厳・命を考え方の土台にするようになったこと。それらを軸に物事を考えればより脆弱な人が生きやすい社会になるはずが、何故声を上げているのかという背景が分からなかったり、知識がなかったりすると、どうしても生産性を上げようとする(経済合理性を重視する)特権側・権力側の論理のほうが声が通りやすく魅力的に映ってしまうのではないかということ。構造的にそちらのほうに力のバランスが傾きやすいために、「中立」や「どっちもどっち」という立場は、結局特権側・権力側をアシストすることになってしまうということ。だからこそ、虐げられている側が絶対に守るべきもののことを考えると言葉が強くならざるを得ないし、どうしても極端に映ってしまうということ。

思い返すと、もっと整理して上手く語りたかったとか、いろいろ思うところはありますが、つまるところ、物事の考え方の基準をどこにおくか、またマジョリティとマイノリティの権力勾配をどのように捉えるかが大事なのかなと改めて思いました。(もちろん、護憲派リベラルにも問題はありますが、質・量ともに改憲派勢力のほうがはるかに大きな問題を抱えていると思います。)
そんな感じで、時間の関係上、全員の話を聞くことはできなかったのですが、最後にいのまたさんから以下のようなお話をいただきました。
「デモをして何が変わるのか、何か意味はあるのかと思うかもしれない。でも人として、危険だと思ったら声を上げるとか、おかしいと思ったら声を上げるというのは、ご飯を食べるのと同じように当たり前の行為。それが集まることで声が可視化される。」(要約)
「政治も民主主義も議員だけがやるものではない。効果があるとかないとか関係なく、市井の人たちが当たり前に声を上げられるのがもっとも基本的な表現行為。」(要約)
「これで世界を変えられるわけではないかもしれないけど、世界によって自分が変えられないために行動する。これはガンジーの言葉だけど、政治家としての自分が、こうして市井の声を上げる人たちの中に入っていくことで、自分が変えられないように、市民のみなさんと一緒になって行動していきたい。」(要約)
そしてさらに、以下のような力強い言葉もいただきました。
「明確に激しくNOと言うことによって、はじめて安心を得られる人がいるということもある。例えば性暴力被害を受けた人でも、それは絶対にいけないことなんだと声に出して言ってくれる他者がいることで、自分が耐えないといけないとか、自分が悪かったのかもしれないとか思うことなく、安心できる場に近付けるということがある。」(要約)
「もちろん、あんまり激しくNOばかり言ってると、それこそ多数の人からは何を怒っているんだとか、過激な表現とか言われて、支持や共感を得られない場面もあるかもしれない。けれど、そこに気付いた人や虐げられた人からすれば、そういうことを言ってくれる人がいてはじめて居場所ができるんだなっていうふうに私は思っています。」(要約)

それを受けて最後に僕からも、これから先日本政府によってどこまで人権が制限されるか分からないこと、場合によっては他国のように声を上げることで命の危険に晒される可能性もあること、その中でガンジーの言葉をどこまで貫けるか分からないことを踏まえた上で、「戦争や虐殺に対して中立であるということはそれを認めてしまうのと同じ」「これは人として絶対に許してはいけないんだということに対しては明確にNOの意思を示していかないといけない。それは性暴力も同じ」ということを言わせていただきました。
今回、会が終わってから大学生の二人も懇親会に参加してくれて、また二次会には一次会に参加できなかった若者が合流してくれて、参加者と熱く議論することができて本当に有意義な時間でした。世代の違いや価値観の違いで異なる意見を持ちながらも、顔を合わせて相手をリスペクトしながら対話することの重要性を改めて感じました。
また、時間がなくてその場では発言できなかった参加者の中にも、作品の中で扱われている女性差別の問題について強い共感を示してくださった方がいて、そうした女性の声を聞けたのも嬉しかったです。その方は市民運動の中にも存在する女性差別を問題視して、むしろそれを解決することでもっと大きな問題に立ち向かう道が見えるのではということを後日SNSに書いていましたが、僕自身もトークの中でこの世のあらゆる問題は男が作っているとお話ししたこともあり、とても共感しました。
また、ババさんの「私の世界観間違ってなかったんだ!」の言葉に救われて、自分がおかしいのかなと思っていたのが作品を観てトークを聞いてほっとしたという方もいて、とにかくスクリーンならではの反応に胸が熱くなりました。ある人から、映像で若い人たちが活躍している様子を観て希望だと言っていただけたのも良かったです。
改めて、このような鑑賞と対話の会を企画してくださったいのまた由美さん、そして撮影にご協力いただいた公園でchillの石川優実さん、ババカヲルコさん、宮澤もえみさん、他多くのみなさまに、深く感謝申し上げます。
この企画を、もっといろんなところでオフラインでできたらなあ~と思っています。よかったらどなたか企画していただけたら幸いです。

最後に、これは余談なのですが、懇親会である若者と話して、改めて思ったことを後日Xで呟いたのですが、それをここに原文のまま転載しておきたいと思います。僕が声を上げるのは、こういう理由から何だよなあということで。
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憲法実現!よりも目先の生活のほうが大事で、護憲派政党よりもピンポイントで魅力的な政策を突いてくる改憲派政党のほうが支持を得やすいという話(ざっくり要約ですが)を聞いた。今の苦しい社会を考えれば、そういう政治の捉え方にならざるを得ないこと自体は理解できる。
ただ、憲法の国民主権・基本的人権の尊重・平和主義という土台が蝕まれると、その上に成り立つさまざまな人間社会の営みが崩壊して行く。それは倫理の破綻をももたらし、特権側や強者側に有利な、ルールを逸脱したものが勝ち残れる歪んだ社会を作ってしまう。現に軍拡・独裁が進み、新自由主義も末期の日本はそうなっている。
一方、憲法の理念に従って平和・人権・尊厳・命を軸に物事を考える社会は、より脆弱な立場の人を包摂した、誰もが生きやすい社会になるはず。そのためには、例え地味で非生産的に見られようと、そのときの時流や目先の政策に迎合することなく、一番端っこから最も大事なものを叫び続ける人たちの存在が必要なのだと思う。
ともすればマジョリティ側に引っ張られやすいパワーバランスを、ずっと端っこでマイノリティ側に引っ張り続ける存在。ひたすら倫理を行動原理とする存在。
政治家にはある程度の戦略が必要かもしれないけど、それを無条件に言い続けられるのって、やっぱり市民なんじゃないかと思ったりする。だから自分は憲法実現!を言い続けたい。だってまだ世界に誇れるこの憲法を実現すらしていないじゃん。
■2026年9月25日のXの投稿より




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